彼の経歴と偉業の概要
最近Youtubeを見ていると必ずGoogleがお勧めしてくる動画に、K頭さんの動画がある。確かにこの人はすごくて、公安?の男を父に持ち、全国を転々とする孤独な子供時代を経て、マクドナルドのアルバイトから役員の手前くらいまでのし上がった努力の人のようだ。まるでドラマのようなエピソードを交えながら、それを大声で、ときにまるで「反社」の人のような迫力で訴えかけ、最後は何とも言えない愛嬌のある笑顔で締めくくる彼の講演は、大人気のようだ。現在彼のYoutubeのフォロワーも100万人を超えている。
これは私の邪推だが、おそらく彼の学歴と破天荒ぶりでは、マクドナルドのようなアメリカ的合理主義の会社では出世は見えてきたので、早々にマクドナルドを退職したのだと思う。その後、特に秀でた技能も持たない彼は、要するにたくさんの人からの尊敬と注目を集めるべく、講演家になるため、苦節を味わってきたのだろう。そして、今、ようやく希望通りの人生になった人なのだと感じている。マクドナルドのことを決して悪くは言わないので、結構ぎりぎりの事情の情報公開も、WinWinの関係においてマクドナルドも黙認しているような感じである。これはかなりうがった見方で、本人は絶対否定すると思うが(笑)。
しかし、講演の内容は、超感動的である。感動の押し売りと言っても過言ではないと思う。それくらい迫力をもって訴えかけてくるし、体験に基づいた実話なので、圧倒的現実味があり、聞くものは完全に魅了されると思う。私も彼の動画を見ながら、号泣した口である(笑)。なので、私も彼の動画は万人にお勧めしたいと思う。その意味で、Googleのアルゴリズムは結構優秀であるといえると思う。
彼の課題
ただ、これだけで終わってしまえば、この記事は何も価値がないので、ここであえて、K頭さんの課題について考察したいと思う。
まず、彼の目に余る「自己肯定感」について。彼の自己肯定感は偽物である、というのが、私の結論である。おそらく彼は心の底ではかなり自己肯定感は低いと思う。だからこそ、人によれば「不快」に感じるような大げさな「自慢」を口するのだと思う。私は本当に自己肯定感の高い人は、敵を作るような自慢はしないものなのだと考えている。単純に、「実るほど、首を垂れる稲穂かな」である。もし人気が落ち始めたとき、今プラスに働いているこの薄っぺらい自己肯定感は、かならず、悪い方向に働くと思う。もっと本気で自己肯定感を高く持てば、今の自分に満足するのではなく、これからの自分の更なる努力シロを語ることによって、聞くものを魅了することができるようになると思う。
次に彼のいう「承認」について。私は一度彼のある動画で、「社長を承認しよう」といっているのを聞いたことがある。彼のいう「承認」とは結局「現状肯定」なのである。もちろん、現状肯定ではないことを言ってる講演もあるのだが、その主張と、「社長を(無条件に)承認しよう」という主張に共通点がない。社長を承認なんて、現状肯定の最たるものではないかと言いたいが、そのギャップを埋める理論が、彼の主張の中にない。「人は変えられないので、自分が変わろう」とか、「心を変えれば見方が変わり、幸せになれる」とかいう彼の主張は、確かに感動的で、納得できるものだが、その講演を聞いた人が、その会場を出たとたん自然に行動や生き方が変わるかといえば、そうでもないような気がする。それくらい、レベルが高いというか、現実離れした話なのである。そして、裏に「現状肯定」が潜んでいるような気がしてしまうのである。だからこそ、「この会場を出たとたん、この講演の内容に従って行動を変えてください」と、講師である彼自らが参加者に言わなければいけないのだと思う。
彼のうさん臭さは、ここにある。彼は社長や会社、社会を変えようとは言わないのである。ただ、「承認しろ」と。「自分が変われ」と。「そうすることによって社会を変えよ」と。でも、これって、支配する側から見れば、とっても都合のいい「社員洗脳」だと思う。社長に講演料を払ってもらってるからそんなこと言うのか?あるいは自分がかつて社長に承認してもらって、自分も承認し続けたからうまくいったという成功体験に基づいている講演なのか?やけにかつてのまるで反社崩れのような(ある意味パワハラ)上司を持ち上げるのもそのためか?とうがった見方をしたくなるのである。
承認しないということは「否定」することではない。社長もまた孤独な存在であるので、何でもかんでも安易に「承認」してくれるより、タイムリーに有用なアドバイスをくれる参謀を望んでいるのである。また、そうでなければ、本物の社長ではない。自分になついてくれる人間だけを重用するような社長は早晩会社をつぶす。そんな社長を「承認」し、ついて行けというのだろうか?そこのところが彼の講演を聞いているだけでは、潔く解決できないところが課題であろう。聞いているものが「現状を変えるために行動しよう」といまいち強く思えない原因であろう。
いずれにせよ、苦節十年の時を超えてやっと花開いた彼の名声であるが、今後講演のネタが尽き、飽きられていく中で、彼自身がどのように進化発展していくかが、彼自身の今後の大きな課題となることは間違いがない。まだまだ彼は若いのであるから。
とまあ、何者でもない私ごときが、K頭氏のような大人物について偉そうに評論しているわけだが、これは単なるネタ切れのなせる業である(笑)。ここで書いている課題を差し引いても彼の偉業は価値あるものであることは言うまでもないし、あり得ないと思うが、この記事はご本人からクレームが来れば即刻削除する予定の記事である(笑)。
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