日本の子供たちの幸福感
まずは下記の記事を見てほしい。
Yahoo Japanニュース(2020/9/3)より
これが今の現実らしい。もちろん調査した国がたった38か国なので、全世界で考えれば、もっと幸福度が低い子供たちもいるだろうが、日本は子供たちにとって、世界の中でも決して幸福度は高いとは言えない国であることは間違いないようである。
ここから言えることは、「お金があるから(健康だから)幸せとは言えない」と言うことである。これは必ずしも「お金がなくても(健康でなくても)幸せになれる」ことを意味するものではない。そんな場合もあるかもしれないが、「お金がなくて(不健康で)かつ不幸せである」と言うことも十分にあるということだ。
だがしかし、「幸せ」になるためにはお金以外の何かが必要で、少なくとも「お金があること」が「幸せになる」ための必要十分条件ではないということなのだ。
そして「精神的幸福感」を阻害しているものは何かというと「学校でのいじめ」「家庭内での不和」と言う風に、子供たち自身が個人的に抱えている要因ではないのである。
これは非常に興味深いことである。
子供は精神的に未熟なので、精神的幸福感は、環境による要因が大きいということである。
大人の幸福感と子供の幸福感の違い
さらに、前述の記事は「こどもの幸福度」についてだけの調査なのだが、「オトナ」についてはどうだろう?そのような調査結果がすぐに見つからないので推測するしかないが、「幸せ」の定義とは、子供と大人でどのように変わるのだろうか?
大人になればなるほど「お金」あるいは「健康」の大切さを身に染みて感じるので、その比重は大きくなるかもしれない。また、「お金」「健康」以外の何かについても、大人になるほど辛抱強くなるので我慢がきくようになり、その比重は小さくなるかもしれない。
しかし体感的に、大人になれば「お金」があり、「健康」でさえいれば「幸せ」ということもないような気がする。
上記の記事でいえば、子供は「学校でのいじめ」や「家庭内の不和」があるから精神的に幸福感を感じられないということであるが、これを大人バージョンに書き換えれば、「会社や職場でのいじめ」や「夫婦間、親子間の不和」と言うことになる。確かにこれらの事柄も、十分に「不幸せ」の原因になりうるとは思うが、私は、それらはどれ一つを取ってみても、根本的な原因にはならないのではないかと思うのである。
というのは、大人は子供と違って自由度が大きいので、例えば「会社や職場でのいじめ」があるのであれば、「会社」を変わればいい。最悪の場合、生活保護を受けるという手段もある。少なくとも「学校に通う」という「義務」があるというような絶望的状況ではない。「家庭問題」についても同様である。女房とそりが合わないのであれば別居すればいいし、離婚という選択肢もある。少なくとも子供のような「選択の余地のない関係」ではないことは確かだ。
大人になればなるほど、子供比べて自由に「環境要因」は変更、選択できるのである。
子供たちの幸福感の本質は何か?
では根本の不幸せの原因は何かというと、私は、自立した大人に関して言えば、少なくとも「環境の要因」ではなく、「生きる意味」があいまいなことにあると思う。
「生きる意味」を自分でしっかりと見極め、簡単に言うと「生きがい」をもって生き生きと生きることができれば、仮に軽いいじめがあってもなんとか「会社」にも勤められるだろうし、多少のいざこざがあっても、ある程度良好な「家族関係」も維持できるだろう。「生きがい」があれば「大人の我慢」はできるようになると思う。
このような力強い大人に囲まれていれば、子供たちも健全な我慢、健全な努力、健全な精神を持てるようになるだろう。
このように大人がしっかりと「生きること」を楽しんでいれば、まだ未熟な自由しかない子供たちは親を見て育つしかないのだから、「いじめ」られても逃げるすべを思いつくかもしれない。少なくとも、誰も頼ることができず、目の前が真っ暗な少年少女よりは、健全な苦しみの中から絶望的な選択は避けるに違いない。
また、同時に生き生きと楽しそうに生きる大人たちを見て育つ子供が、自分と同じ「成長」過程にあり、「夢」を膨らませている自分と同じ子供をいじめることはしなくなるように思う。おそらく、いじめをする子供の心の闇は、その親のつまらなさそうに生きている生きざまを見て、将来の光を見いだせない苦しみから来ているのだと思うからである。
子供は未熟で不自由だ。何もかも足りない。でもそのそばにいる大人が持てるすべてをつぎ込んで自由に、生き生きと生きている姿を見せ、今の不安や不満もいつか解消される未来の光を見せることができれば、子供たちは、今の不満や不安にとどまって、子供たち同士でいじめあったり、傷つけあったりすることはなくなるんじゃないか。
子供は大人の鏡なのだろう。自分たちが子供のころに感じた切なくも力強い親の背中を見せられているか、また、恐ろしくも情けなかった親の醜い顔の表情を子供たちに見せていないかを反省し、真摯に自分の人生の生きる意味を考え、輝ける自分で居続けることが、結局は子供たちの幸せにつながるような気がするのである。