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オカルト 人生論

偶有性とは何か?

投稿日:2020年9月8日 更新日:

概念説明の種類について

偶有性と言う言葉を最近知ったので、それについて思うところを述べてみたい。

こういう難しい概念を説明する場合、バカの説明の方が天才や普通の人の説明を聞くよりわかりやすいことがある。

なぜなら、そもそも言葉の意味が「わからない」時点で天才の説明を聞いても「スタート時点」に大きな開きがあるので、差はどんどん開いていくばかりで、天才に追いつけないまま説明は終了するからである。

そしてまた、普通の人の説明は、「理解」させることよりも、「誤謬」や「誤解」を避けようとするため、本質を突いた説明にならず、内部を傷つけないように外周をそっと撫でただけのような内容で、静かで美しい川のせせらぎの中に日ごろの疲れを忘れてしまうような「錯覚」にとらわれ、「わかったような気になる」のが関の山になるからである。

その点、バカの説明は、核心を捉えず、誤解を生じさせるような説明であっても、それを一種の比喩のように解釈すれば、なんとか自力で「本質」へたどり着かせてくれる親切さ、あるいは強引さがあるだけ、説明を欲するものには有効である場合があるからである。

偶有性の私なりの解釈とは?

要するに、私は「誤解」を恐れずに主張したいということである(笑)。

偶有性とは、

事物の本質的でない性質。その性質の有無が、事物の何であるかに影響しないような性質。例えば、人間にとっての「色白である」という性質。付帯性。

出典 三省堂大辞林 第三版より

と言うことである。このことの意味する内容を私なりに解説したいと思う。

仮にこの宇宙は「自由意思」の目論見によって誕生したとする。つまり、我々が存在しているこの宇宙は、「因果律」に基づいているので、この宇宙の中に「自由意思」は存在しないのであるが、この宇宙自体は、この宇宙の外側に存在する自由意思の「意志」によって誕生したと仮定するのである。

この場合、生物の中で唯一、「意志」を持つと思われる人間は、自由意思の「乗り物」であると仮定することには抵抗はないと思う。

つまり、自由意思は、この宇宙を、何らかの目的の達成のために生み出したのであるが、自由意思が目的を必ず達成するためには、この宇宙は自由意思以外の何かによって、その目的達成が阻害されないように、「因果律」によって統制される必要があったのである。

そして同時に自由意思が作り出したこの宇宙は「因果律」によって成立しているが故に、自由意思自身もこの宇宙に存在できなくなる。このジレンマを解決するために、進化や自然淘汰の因果律によって、「人間」をこの宇宙に誕生させたというわけである。

こうすることによって、自由意思は「人類」という名の自分の触手をこの宇宙に潜り込ませることができ、この宇宙において、人類によってその意志の実現を達成しようとするのである。

このように、人間の本質は「自由意思」ということになるのであるが、「自由意思」の「本来の目的」自体は、人類は共有できない。なぜなら、この宇宙は「因果律」によって統制されているのであり、自由意思といえども「勝手な」行動は許されないからである。したがって「自由意思」はこの宇宙において人類に自分の目論見を伝え命令し、「因果律」を超える結果を強制的に出現させることは許されないのである。いいかえれば、人類はこの宇宙に生まれる瞬間に生前の「自由意思」としての記憶をすべて失うのかもしれない。

このことが原因で、人類は自分が「自由意思」の子であることを理解できないと考えられるのである。

自由意思がそのような目論見を持ったわけは、この宇宙を取り巻く「自由」な世界の中で、自由意思の持つ「本質」が無条件に自動的に実現される様子を宇宙の外から確認したいと思ったからかもしれない。または、自由意思はその意志が間違っていないことを検証するために、この宇宙と言う壮大なコンピュータを作成し、演算しているのかもしれないのだ。

これらのことが納得できると、人類の身体や、人類を取り巻く自然環境、社会的環境、その他すべての人生おける現象は「偶有性」そのものであるということができるのである。

つまり、お金持ちになって幸せだったとか、虐められて不幸だったとか、病気で苦しんだとか、健康を思う存分享受したとか、そういった様々な人生は「偶有性」による現象であり、「人生に生きる意味はない」のである。

では人生はただ生まれて消えていくという意味のない時間つぶし、出来レース、消化試合なのかというと、そうではない。

我々は人生には何かあると思いがちである。この「思い」の本質は、この宇宙に生まれる前に理解していたであろう自由意思の目的であり、その目的が、我々に生きる意味を探求させるのであり、「科学」を発明し発展させる動機なのであり、おそらくは、他の動物が持っていない「性質」であり、「本質」なのかもしれないのである。

この難解な自由意思仮説はほぼ「宗教」なのだが、その上で私は結論として、「偶有性」とは人生そのものである気がするのである。いいかえれば、人生とは「偶有性」のものであると思うのである。人生の生きる意味を自ら創造し、それに沿って生きること、自分の魂の深い部分にある自由意思への憧憬に包まれながら生きていくこと、おそらく人類はそんな自由意思の「意志」、それがいったい何なのかは永遠にわからないのであるが、私が思うにおそらく「自由」の実現のために生きていくのであり、その秘訣は、人生を偶有性と認識することにあるのだと思うのである。

-オカルト, 人生論

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