人生の目的を明確に定義すると・・・
昨日「人生の目的とは何か?」という記事を書いた。しかしまだ自分でもモヤモヤする部分があるので加筆したい。
人生の目的とは何かであるが、私は、人生の目的とは、人生を意味付けすることだと思う。すなわち、人生そのものには生きる意味はないのだが、その意味のない人生に自ら意味付けするために生きていくのだということである。
「プロ野球選手になりたい」とか、「医者になりたい」とか、「総理大臣になりたい」とかそういう目標、目的をもって生きるということは、あくまで人生に意味付けするための手段であり、人生の目標、目的そのものではない。人生を生きる意味とは、その人生に満足することにあるのであり、その人生の内容、成果、評判なんてどうでもいいのだと思うのである。要するに、人生を生きてみて、その人生に「満足」して初めて、その人生を生きた意味があったといえるのだと思う。
もう少しかみ砕いていうと、だれでも子供のころ遊園地に遊びに行ったことはあると思う。その時、遊園地に行ってケガして帰ってきて楽しいことが一つもなかったら、遊園地に行った意味はないのである。遊園地に行く意味というのは、「楽しむ」ことにあるのである。そして、「楽しい」の本質は、「ジェットコースターに乗ったか」とか「お化け屋敷に入ったか」とか「レストランで家族仲良く食事したか」とか、そういったこと自体にあるのではなく、それらに付随する楽しい「思い」にあるのである。例えば、「絶対にジェットコースターに乗るぞ!」と思って遊園地に行ったのに、満員で乗れなかった。でも、その代わり親が美味しいソフトクリームを買ってくれて、満足した。そうすれば、結局遊園地に行った意味はあったことになるのである。
人生は「遊園地に行くこと」とは違うので、「楽しむこと」というような明確な目標は立てにくい。逆に「楽しくない人生だったけど感動した」とか「感動もない人生だったけどなんか楽しかった」とか「嫌なことばかりの人生だったけど、全部乗り越えてきた自分が少し誇らしい」とか、何でもいいので何らかの「満足」があればいいのだ。「満足」することが目的と言っていいと思う。
だから、「自己実現」なんていうなんか「~しなければならない」というようなことを連想させる「目標」「目的」が必要なのではなく、目標、目的は「何でもいい」と思うのである。だから、「お金持ちになりたい」というような自己実現とは関係のないような目標でもいいと思う。ただ、それが人生に意味付けするための手段であることをしっかり認識しているのであれば、何を目標、目的にしても何らかの「満足」は得られるはずだ。
目的を持つことの大切さとは?
一方、目標や目的を全く持たなくても人生の意味付けはできるような気もする。何も考えず、ただ流されるだけでも、無事、人生を終えられれば、それで満足という考え方もあるだろう。
しかし私は、「無欲」であることは「強欲」であることと、大きく変わらない気がするのである。先ほどの「ジェットコースター」を例にとると、「ジェットコースター」に乗ることだけを目標にし、それが全てだと思いすぎると、もし乗れなかった時に、親が買ってくれたソフトクリームの美味しさには気づけないだろうし、逆に何も求めず、ただ親が連れてきてくれた遊園地で親が買ってくれたソフトクリームを味わっただけなら、親の愛情のスパイスの味は感じられないかもしれない。つまり、目標や目的を何も設定しないことは、目標や目的を人生のゴールそのものに設定することと同じくらい、人生の意味について盲目になるということだ。
だから私は、「〇〇になりたい」と思って目標や目的をもって生きていくことは大切だと思う。そして、この○○というのは必ずしも職業や、地位や、名誉を示すものである必要はなく、例えば「優しい人になりたい」でも同じである。そして、結果的にこの「〇〇」になれなくてもいいのである。だから「自己実現」とかいう難しいことを考えなくていいのである。それに向けて頑張って生きて得られる満足感こそが自分の人生の生きる意味であり、それ以上のものはないということである。
人生の意味は難しい。今後もこのテーマを考えながら生きていきたいと思う。