上司部下の関係はどう変わったか?
今後会社に中間管理職は必要かという議論がある。私は今後は消えていくと思うが、その点について考察したい。
私が会社に入社した1980年代以前は、まだまだ業務のIT化もお粗末で、ITなんて言葉すらない時代の仕事は、さすがにサラリーマンの業務と職人の仕事は区別されてはいたが、それでも人間の手作業、手加減が加わる以上、「技」「匠」といった要素も残されていて、上司部下は、師匠と弟子の関係に通じるものがあった。実際に当時は、お世話になった社員(仕事を教えてもらった先輩や上司)を「師匠」なんて呼ぶこともあった。なんだかんだ言っても、上司は部下より明らかに仕事を知っていたし、困ったことが起こった時には部下は上司に頼ることが多かった。この、頼り頼られの関係に尊敬や寵愛ということもあった。場合によっては経営成績ばかりを気にする無能な経営者に対して、お客様第一を心がける現場の上司部下が一丸となって、経営陣を動かすなんていう「ドラマ」もあったかもしれない。なんだかんだ言っても、まだ会社の仕事が人間の手の内にあったころは、人間のつながりは存在していたのである。普段「何もしない上司」もいざとなれば役に立つ場面があったのだ。
ところがバブルがはじける少し前の世代から、会社の仕事は急激にIT化が促進され、「マニュアル」全盛の時代がやってきた。それまで職人の技とされ、機械化があきらめられていた部分にまで科学のメスが入り込み、合理化の波が押し寄せてきたのである。
こうなるとどうなるかというと、上司や先輩のいうこと聞くと間違えるという現象が起きてくる。つまり、変化の波が早すぎて、過去の経験が全く役に立たない、あるいは、まったく真逆の手法が使われるようになってしまうということだ。そしてIT化が上司、先輩と現役担当者の関係を業務指導という面でも引き裂いてしまった。困ったことが起こると、担当者は、IT部門に聞くことにするのである。現場の担当者にとって、上司や先輩は単なるお飾りと成り下がるのである。
では一方の上司はというと、それまでは部下の業務指導の面から、部下の生活指導、人生指南まで部下という人間と深くつながっていたが、変化の波が大きすぎて、今では部下が何をしているのかわからないし、「何をしているの?」と聞くのも軽く馬鹿にされるので、「わかったふり」をするしかなくなる。わかったふりで、部下の勤務評価や査定をするので、評価、査定の精度はめちゃくちゃになる。結局、莫大な作業量(それも勤務時間という物差しで測るのだが)をこなし、自分になついてくれる人間を会社に忠誠を誓う人間として評価してしまうことになる。
ITが罪深いのは、上記のような、部下の働きを全く無視して、自分の機嫌を取ってくれる部下を上司が登用しても、本来であれば、部下のモチベーションが下がって経営のパフォーマンスが悪化するところが、IT化により担当者の業務は簡素化されているので、「誰がやってもほぼ同じ結果」になり、そんないい加減な人事が通用するようになってしまうという現象が生じることである。
そんないい加減な人事が数年続けば、もう立派に担当者はモチベーションをなくす。仕事はマニュアル通りに適当にこなして、あとは上司のご機嫌取りと、ライバルの蹴落としに専念するようになる。そんな組織の中で、まじめな人ほど心を病むわけである。
私が退職する前、私の同期の部長が自分の部下が悪い経営予測の数値を報告してきたので、「叱責」している場面に出くわした。その部長曰く「『悪い数値を出す前に、最悪はここですが、ここまで積み上げる所存です』という報告をしろ」というわけだ。
私は笑ってしまった。今はすべてIT化が進んでおり、また、売り上げも右肩上がりどころか右肩下がりで、科学的根拠をもって算出された数値を、課長ごときが一存で変更できるわけがないのだ。我々が新入社員のころは、まだギリギリ、そういった「執念」や「根性」の入り込む余地はあった。なぜなら、ITがまだそれほど浸透しておらず、算出数値もいい加減で、さらにバブル景気も手伝って、「どうにかなる」場面もあったのだ。でも今は、コンプライアンスも厳しいという側面も相まって、数字はうそをつかない時代に突入している。予測数値は「正」として、部長は「施策」を考えるという、中間管理職の本来の素養を求められている時代になったのだ。彼はそのことに全く気付いておらず、自分が若かったころの、「高卒」のたたき上げ上司に言われたことをオウム返しにするのみだったのである。
失われた30年に起こったこと
昨今の日本経済を評して「失われた30年」といわれることがある。日本においては、バブル経済崩壊後の1990年代初頭以降、高度経済成長期や安定成長期の頃のような経済成長率・景気拡大(完全なデフレ脱却)が起こらず、「失われた30年」になってしまったというものである。
人間がひとり生まれれば、一人分の生活費は必要になる。同時にそれは、消費財の生産も必要になるということで、いったん生産体制が出来上がってしまうと、大きなイノベーションが起きなければ、理屈の上では、毎年全く同じことを続けていても、世界は存在し続けることになる。ただし、企業は売り上げは上がらず、従業員の給料も上がらない。意表を突く人事も起こらなければ、衝撃的な降格や解雇も起こらない。一見すれば、本当に平和な世の中であるが、中間管理職は事実上仕事を失うのである。
現に上記で述べた私の同期の部長も、発想はこの30年間、まったく成長していないのである。30年前に部長をしていた高卒のおやじを連れてきても、経営マネジメントは全く変わらないのである。本来であれば、もっと世の中の動きに注意、興味をもって、自分の業界の未来を思い描いて積極的に「改革」のリーダー役にならないといけないが、今の中間管理職が、30年前の人間と何ら変わらないスキルしかもっていないのであれば、今から30年分の遅れを取り戻すのは不可能であるので、即刻クビにすべきである。
担当者は今や仕事(作業)で課題が発生すれば、IT部門へ聞いた方が早いのであるから、会社には経営のかじ取りをするトップと、ちゃんとコンピュータの制御をする担当者がいれば、少なくとも今の体制は問題なく継続できる。どうせ中間管理職のやっている仕事なんて部下の勤務管理と、自分の上司への報告レポートづくりしかないのであるから、そんな連中に支払う金をAIの開発に回せば、おそらく成果は極大化するだろう。
私は中間管理職の育成がここまで手遅れになってしまえば、今言われているような45歳(今は40歳か?)定年制を現実化して、企業での20代から30代での担当者時代の経験を生かして、40歳くらいからは起業してマネージャー(経営者)として、世の中に新たな価値を生み出す存在になっていく方が、人類の未来に明るい展望をもたらすような気がしている。
たまたま私の経験した会社だけが特殊だったかもしれないが、お気に入りの部下をかわいがり、若者の勤務状態を「勘」で評価して、暇つぶしのために会社に来るような、人生は18歳までの努力でおしまいみたいな「普通」のつまらない人生はそろそろ終わりにすべきであると思う。