じょじょ日記

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人生論

バカとは何か?その存在と本質について

投稿日:2020年8月13日 更新日:

バカの解釈とは?~認識のゆがみ?

かつてYAHOOニュースに「バカ」に悩む人についての記事が掲載されたことがある。(現在削除済)この記事を要約すると、

  • 人の欠点ばかりが目につく「ネガティビティ・バイアス」
  • 「バカだからあんな行動をとるのだ」という思い込み

世の中にバカがたくさんいるとわたしたちが思いこむ原因は、少なくともこのふたつはあるということらしい。

なぜバカと思うか?バカはいないのか?

たしかに、人は簡単に受け取った情報にバイアスをかけるし、受け取った情報を一方面からの(思い込みによる)解釈をしがちと思う。しかし、なぜ人はこうも簡単に情報をゆがめて受け取ってしまうのだろうか?そして、世の中にバカはいないのだろうか?

この答えに関する私の解釈を述べる。

まず、私は大きく分けて人間には三種類の行動パターンがあると思う。行動選択の癖として

  1. ハイリスクハイリターンを好むタイプ
  2. 中リスク中リターンを好むタイプ(漁夫の利タイプ)
  3. ローリスクローリターンを好むタイプ

例えばわかりやすく、とても腹が減っている原始人が森の中で生肉を発見したとする。その時、迷わずその生肉を口にするのが1のパターンであり、逆に慎重にあたりを見回し、猛獣の隠れそうな藪を切り払い、見晴らしのいい空間を確保したうえで、火をおこし、肉を焼いて食うのが3のパターンであり、2のパターンは中途半端に周りを警戒したうえで、中途半端に火をおこし生焼けの状態でも食うものとする。

この場合、1のパターンは、空腹はすぐ凌げ、非常に手っ取り早いが、逆にその生肉を狙う猛獣に襲われやすく、またその未調理の生肉に付いた菌により病死するリスクがあるのでハイリスクハイリターンであると言える。私はこのパターンをバカと考える。

そして、3のパターンは、空腹は少しの間我慢しないといけないし、めんどくさいが、食事をする場所と食物の安全を確保している点でローリスクローリターンと言える。私はこのパターンを聡明な人と考える。

最後の2のパターンは、そこそこの安全性とそこそこの快適性を確保でき、生焼けの肉に当たらない限り、食中毒で死ぬことはないという意味で、中リスク中リターンである。私はこのパターンを「普通」と考える。

そしてこの三つのパターンのどのパターンが一番生き残る可能性が高いかというと、2のパターンだろう。そしてもし、2のパターンが3のパターンを見つけ、何とかすり寄って肉を安全に分けてもらうことを覚えれば、これはもう絶対的に「安全に」しかも「手っ取り早く(ストレスなく)」生き延びれる。そして、3のパターンに必要な能力は、危険回避の注意力と知識、手順を考える知能、ストレスに耐える気力とたくさん要求される一方で、2のパターンに必要な能力は「愛嬌」だけである。3のパターンの機嫌を損ねず、平和的に肉を分けてもらえばそれでいいのである。この簡単さは生き残る簡単さにつながると思うのである。

このように考えれば、人類は2のパターンが大多数を占めるようになるだろう。つまり、1のパターンは「ハイリスク」のため、そして3のパターンは「ローリターン」のため、2のパターンに比べて生き残りづらくなるだろうということである。

そして2のパターンは自分以外の人間の存在(特に3のパターン)に依存する傾向があるので、人間が「社会」を形成しようとするのも理解できるし、「社畜」が発生するのも、この遺伝子?性質?が原因と理解することもできる。

バカの本質とは?

私は、1のパターンをバカ、3のパターンを聡明(かしこ)と定義したが、これは「想像力」の強弱によっている。つまり上記の例で、「腹が減っているから」とすぐに生肉に飛びつくのは、猛獣に襲われる危険、肉が腐っている危険を「想像」できない分だけバカなのである。そして、リターンは減るかもしれないが、あらゆる危険を「想像」して察知し、対策を施してからしっかり安全にリターンを獲得するものが賢いのである。さらに言えば、「普通」は、その賢い人についていくだけなのである。

一見すると、2のパターン、つまり「普通」が最強で一番頭がいいように思うが、そうではない。なぜなら、もしも3のパターンがいなくなったらという「想像」がついていない分だけバカだからだ。やはり最強は3のパターンで、最終的には3のパターンが生き残っていくのである。2のパターンは3のパターンが減るにしたがって絶滅してゆくのである。そして最後に、2のパターンと3のパターンしか地球上にいなくなったら、3のパターンは最後の肉を2に与えることなく安全に自分で食べて生き延びるだろう。2のパターンは適当にどこかで拾った肉を適当に焼いて、生焼けの肉にあたって死ぬのである。

つまり人は普通、いろんなバイアスや思い込みで人は人をバカと判断するが、「想像力」の欠落に応じて、その判断にはゆがみが生じており、最終的に人間の賢さを決める決め手は「想像力」「物事の本質を察知する力」と言えるのではないかと思うわけである。

結論としては、人は様々なバイアスや思い込みによって、「世の中バカが多い」と感じるが、だからといって、世の中にバカはいないというわけではなく、実際のところ「バカ」かどうかは、想像力の多寡で決まると言いたいわけである。人を「バカ」と思うときは想像力をたくましくして判断する必要があると思うのである。

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