普通の定義とは?
あるYoutuberの動画を見ていると、普通の人というのを「上から怒られないことを価値判断の中心においている人」と定義しているのを聞いた。私もその通りだと思う。私も会社の同僚で、いろいろ議論を散々した後で、「いやぁ、○○さんはさすがですね!」というと、やたら「いえいえ、私は極めて普通だと思ってます」と言って胸を張る人間が多かった。私はとても意外に感じたが、普通の人は普通であることが自慢であるらしい。
周りを気にする人も普通の人といえるかもしれない。天才と呼ばれるような人は、普通のレベルは低すぎるので、周りは気にしない。逆にバカな人は普通のレベルが高すぎる、もしくは理解できないので、周りは気にしない。天才やバカが周りを気にし始めると、大体気狂いになる。
私の同僚のある普通の人は、私の真似をしてリストラに応じた(早期退職した)が、会社が提案するシニア会社を断り、その転職先として選んだのが地方の中小企業で役員待遇の年収1,000万円超の仕事らしい。確かに私の同僚は大企業ではあるが課長でもないような人物である。経営のケの字も知らないくせに、「次を決めてからやめる」「自分を安売りしない」という転職エージェントの言葉を鵜呑みにして会社を去った。その後どうなったか知らないが、まあ、数年で帰ってくるだろう。いくら中小企業でも、いや、中小企業だからこそ、報酬年間1,000万円以上の仕事なんて苛酷に決まっている。結果を問われ、責任を取らされて即クビだと思う。
件の彼はできるだけ長く大企業の上級課長代理の給料をもらい続け、定年後はシニア会社で重厚な福利厚生の恩恵を受け続けるべきだったのである。だがしかし、景気が悪くなって給料が下がってくると、私の真似をして「行動」してしまったのである。こっちの踊りにつられて躍らせてしまった人間としては、彼の幸運を祈っている。
普通の人の生き方とは?
普通の人は景気が上向けば少し生活が楽になり、不景気になれば貧困になる。上のいうことを聞いて周りばかりを気にして前から来ているものに無頓着なので、普通の人の生活は景気に左右されやすいのだろう。周りと同じことをしていれば、周りと同じ結果になる。かといって、周りと同じ事しかしてこなかった人間が急に周りと違うことをしてもうまくいくはずがない。
でも、普通の人はそれに気づかない。なぜなら、普通の人の上にはいつでも自分より「上」がおり、その「上」のいうことを聞いておけば(逆らわなければ)、「なんとかなった」からである。そして、その「普通」の人が、今まで経験してこなかった「普通」ではない人生を送る覚悟が急にできるかというと、それはないのである。なぜなら、今までもなんとなく「なんとかなって」きたからだ。周りを見て、周りと同じようにしていればよかったので、今度も「なんとかなる」という漠然とした考えしか浮かばないのである。自分の周りに、もう参考にする「普通」がなくなったことに気づいていないからだ。要するにどうしようもなくなるのだ。もう「なんともならない」のである。
普通に生きてきた人は、常に自分は普通に囲まれているかを気にした方がいい。普通の人は、普通でない生き方はまったく不得意だ。それは、人生にはかならず意味があると漠然と思っていて、自ら人生の意味付けをしようなどという発想がないので、たぶん「人生の意味付けの仕方」など全く分からないだろう。とにかく周りと違っていれば、恐怖でしかなくなるし、意味のないことを、普通はできないのである。こうして、意味を失った普通の人間は発狂するのである。
[…] 幸せ」という人もいる。確かにそうだ。もし自分の考えることがことごとく「多数派」の考えに一致するなら、ほとんど悩まずに一生を送れるだろう。※「普通」に関する記事はこちら。 […]