守るものがあるからこそ、裏切るのである。
ネタに困れば芸能ネタ、ということで運営していく方針である(笑)。さて、先日木下優樹菜さんの芸能界引退のニュースが報道された。「事務所との信頼関係の破綻」ということだが、それ以上の具体的内容は憶測記事が飛び交うばかりで、さっぱりわからない。もちろん、末端の一般人である私が真実を知る由もない。だがしかし、この件で感じるものがある。
信頼関係が破綻したのであれば、関係を継続することは不可能である。これは普通の関係、つまり友人、恋人、夫婦、師弟、上司部下等でも同じことだと思う。信頼関係の破綻といえば、「裏切り」のことであるが、おそらく木下さんと、事務所の間、さらに言えば前夫の藤本敏史さんとの間にもなんらかの裏切り行為があった結果と思う。
人が誰かを裏切る場合、その人より大切な何かが、自分にはあったからだと思う。でも、頭が悪い人ほど、大切なものがたくさんあって、それら全部を自分のものにしておきたくて、「裏切る」のだろう。たとえばAさんもBさんもCさんも好きというようなバカ女、バカ男である。しかしもしも、少し頭が良ければ、そういう「誰でもいい」という感情が「正しい」とするなら、自分もそのように扱われていいという前提で生きなければ矛盾に満ちた人生になるということが理解できるはずである。逆に言えば、それが理解できない人というのは、自分は人から裏切られてはいけないが、自分は人を裏切ってもいいという考え方が、きわめて「自分勝手」で「自由」とは程遠いものであるということを理解できない程度に知能が不足している人であるといえると思う。だって、自由とは自分に従って生きることであるということを理解できるのであれば、裏切りが許せない自分もまた、そういう自分の価値判断に従って、人を裏切ってはいけないことが理解できるはずだからだ。
仮にそういうことを理解できていても人を裏切ってしまうわけは、きっと自分に死んでも守りたい何かがあるからだろう。親、友人、恋人、子供・・・。それは人それぞれかもしれない。
裏切りが正当化される理由はなく、守ったものにどれだけ共感できるかだ。
このように、「裏切り」は極めて頭の悪い行為で、人生を真っ向から生きていない人の生き方といえると思う。もちろん、人間は普通、人生を真っ向から生きてはいないので、時に感情に流され、それが正当化、とまではいかないまでも、「同情」「共感」をもって見逃される、受け入れられる場合もある。そこに文学や芸術の存在する余地もあると思うが、それは極めて純粋で美しいものでなければいけないと思う。まるで野生の弱い動物が子供を守るために強い動物に「本能的に」挑んでいくような、たったそれだけの、ある意味単純な理由であれば、多くの人の共感は、普通は得られないと思う。
普通の人が求めているのは、美しいものを守るために破れかぶれですべてを失い、消えていくことではないと思う。逃げ切って隠れながら守り抜くことだろう。その守っているものが、美しく純粋であればあるほど、人は救いを感じられるのだと思う。
裏切りの真因はなにか?何を守ろうとしたか?そしてそれは自分の基準に照らして美しく、純粋であったといえるか?これがはっきり胸を張って言えるものでなければ、いったん芸能人として人生をさらけ出してしまった以上、今後どんな生き方をするにしても障害になると思う。
そしてもしも、それが胸を張って言えないものであるなら、本当に「反省」をして、自分を恥じたうえで、今後の自分の生き方を表明する義務があると思う。一般人なら必要ないが、芸能人だからこそ必要と思う。一般人に戻るとしても、いったん芸能人という特殊性を自分からはぎとるために必要と思う。それは自分だけの問題ではなく、自分の家族にとっても重要な問題と思う。そして今後生まれ変わっていく自分を、心の底から好きになれなければいけないと思う。それが、自分が守ろうとしたものに対する「誠意」であり、自分の生きざまを整えることこそが、自分への誠意であると思う。手段は「逃げ」「隠れ」であっても、自分に嘘はつかないこと、それが、本当に「守る」ことだと思う。
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