昔からやってみたかったギターを始めて思うこと
ギター1本でかっこよく弾ける!はじめての「ソロギター講座」私は十年前からギターを趣味で弾くようになった。きっかけは、会社の昇格試験に落ちたことだ。当時の私の指導者は、私より年下で指導を受けていても全く熱意を感じられなかった。徹夜に近い形で作った資料も、それほど質問もなく、「これでやってみれば?」みたいな感じだった。私は合格する予感が全くなかった。後日、結果発表があり、案の定、結果は不合格。その若い指導者に別室に呼び出されて結果の報告を受けた。「力及ばず、すみませんでした。」と丁重に言われたが、それは頭のいい彼が会社生活の中で身に着けた、うわべだけの処世術であることはすぐに分かった。
昇格しなかったことについて心当たりはあった。それはおそらく、海外転勤を断ったからだと思う。なので、不合格の気配は感じていたので、やる気満々に試験対策をして、ダメージを受けないように防御していた。そのこともあって、不合格自体の連絡にはさほど衝撃は受けなかったが、しかし心のどこかでは、ひょっとしてという淡い期待もあったかもしれない。目の前に突き付けられた現実を前に微かな敗北感にまみれながら、これからのことを考えた。
仕事に熱意を失ったら考えてみるべきこと。
社会人は趣味を持つべきと思うということについての記事はこちら。
仕事に熱意を失ったら、本当は自分は何がしたかったのかを考えてみるべきだ。私も絶望の中、じっくりと考えてみた。とにかく、もうこれ以上会社にいても一生平のままということは、いくら馬鹿な私でもはっきり分かった。しかし、まだ子供も小さく、そんな簡単に会社を変えるわけにいかない。ではこの先、何をモチベーションにして、会社へ通うのか。家族のためというだけでは、当時の私には精神的にキツすぎた。
中学生のころ、ラジオでビートルズを聞いて、曲調や歌詞に心を奪われ、大好きになった。そしてギターを買ってもらった。おやじがケチだったので、たしか5,000円くらいのチューニングも狂っているような代物だったと思う。それでも我慢して弾いていたが、やはり本格的な?フォークギターが欲しくなり、お年玉をためた貯金を崩してこっそり20,000円程度の初心者用ギターを買った。しかしすぐに「受験」を迎え、そのままギターはお蔵入りになった。高校に入って、ギターを続けてもよかったが、「音楽で食べていくことはできない」と高校生ながらに感じ、そのままギターは自分の部屋の押し入れの奥にしまったままになった。
自分の好きなことをあきらめて、一生懸命勉強して、中堅の大学に入り、紆余曲折ありながら、「一流企業」の一員になったが、企業の歯車になって自分の人生を犠牲にすることを拒否すれば、結局、底辺社員扱いされる事実を目の前にして、私はかつての「やりたかったこと」をはっきりと思い出した。
それからは早かった。さっそく近所の楽器屋で初心者用のギターを購入し、2・3年後には15万円ほどする中級者用ギターに持ち替えて毎日狂ったように弾いていた。へたくそなのは十分に認識していたが、それでも自分のギタープレイをネットにアップしたりして遊んでいた。正直言うと、そこから「プロ」になれたらという「幻想」も持っていたことも事実である。だからこそ、毎日の何の意味もない会社勤めも耐えられた。出世はしなくとも、「普通」に会社員をつづけていながら、趣味を楽しめる人生に、喜びを感じていた。だがしかし、会社をサボってギターを弾いたり、あるいは、会社の仕事に支障が出るくらい時間をかけて練習をしたりということまではしなかった。だから上達はしなかった。会社は単に給料という生活費をもらうところ。自分はギターをそこそこ弾いて楽しめれば、それでよかったのである。
しかし、だんだん定年が近づいてくると、会社も黙ってはいなかった。物言わぬリストラである。決して上司は「やめろ」とは言わなかったが(いや、思えば独り言のように「やめれば?」「やめていいよ」と言った上司もいたような気もするが)、かつての部下の配下にされる、毎年減給、県をまたぐ転勤、パワハラ等の嫌がらせを受け、とうとう給料は最低評価を受けることになり、さすがに早期退職に追い込まることになった。
こんな人生でもなんとか破綻せずに続けてこられたのは、ギターがあったからこそである。私にとっては、ギターは私そのものであったと思う。仕事もギターも中途半端ではあるが、それも私らしいといえば私らしい。昨今は、心身ともに健康を損ない、人生の道を誤る会社員が増えている。人生の迷子にならないためにも、仕事に意味を感じられなくなったら、自分が何がしたかったのかを思い出してみることは重要と思う。どうせ人生に大した意味はない。やりたいことはやってから死ぬべきである。
はじめてのソロギター講座3弾セット