思考停止の行動が無駄を生み、人生をつまらなくする
先般、在職中のことであるが、私が長期の有給休暇を取得している間に、会社が在職勤務を開始するので、申請書に押印するために出社せよと上司から連絡があった。会社(人事)の意図はよくわからないが、おそらく従業員から、会社に無理矢理在宅勤務を押し付けられ、不利益を被ったと訴えられないように、申請書をとっておくということだったのかもしれない。しかし、表向きは、コロナ対策で在宅勤務を政府が推奨しているので、会社としても推進するということが主な理由と思う。もしそうであれば、なぜ今、出社させて押印をさせるという「無駄で危険な」行為を部下にさせるのか?それは私の上司が「社畜」だったからだと思っている。
通常、あり得ないことだが、もしも会社から「人を殺せ」と命令されれば、健康な人間であれば即刻拒否し、あるいは即退社の意思を表明するかもしれない。しかし、私の考える「社畜」とは、ここで、「悩む」のである。もちろん、そんな命令にもならない命令に何の疑問もなく従うのは人間として問題を抱えているので論外としても、私は「悩む」時点でどうかしていると思う。そういう人は「社畜」と判断するのである。そしてこういう人間の場合、上記のような微妙な?シチュエーションで「悩む」ことはない。すぐに有給を取得している部下に連絡を取り、「出社」させるのである。
思考停止すると、とんでもない無駄が生じ、思考停止がゆえにそのことに気づかない。
こういう場合の社畜本人の考え方は、「会社(人事)が言っているから」である。人事が従業員保護の観点から、感染予防のために在宅勤務を推奨している、したがって、部下にその旨を伝え、在宅勤務を積極的に実施するように伝えればそれでよい、と考えるのではなく、人事が、上司が部下に伝えた証拠として、「印鑑」を必要としているので、出社して、押印せよと考えるのである。しかも、有給休暇を取得している部下に対してである。この行為を「正当」かどうか人事に確認したかと上司に問えば、回答は「NO」であった。私はあきれて、退職の意を固めた。
このケースにおいて、目的は「従業員を在宅勤務させて、感染から守る」である。それを各職場で徹底されたかを人事が知る手段として「従業員に申請書に押印させる」である。つまり、従業員が会社に自宅勤務を強制されて不快な思いをさせられ、後々訴訟になるのを防ぐためではなく、あくまで従業員のためを思って在宅勤務を推奨したのであり、けっして「いやがらせ」ではないと主張するためのものであれば、申請書は事後で構わないはずだ。上司としてそこをきちんと説明すれば、おそらく人事も納得するであろう。(先に電話やメールで本人に確認を取った証拠があれば、今時そこまで書類の形式にこだわらないと思う)しかし「社畜」は人の命に直接(アホでもわかるくらい直接的に)かかわらない限り、「言われたとおりに」作業するのである。迷いもなく手段を目的化するのである。そして、これが、一流と言われている日本企業における一部の管理職の思考形態(思考停止)なのである。こんな人間が年収一千万円越えなのである。日本の「格差」はいろんな意味で広がり続けるわけだ。
もちろん「社畜」および「社畜予備軍」の人間は、それくらい(ちょっと出社してハンコ押すくらい)いいじゃないの?と思うだろう。実際私もいちいち反論するのも面倒なので、出社して押印してきた。そして雑談して帰宅したのだが、今本当に、日本企業はかつての「家族経営」のいい部分を放棄し、「家族経営」のだめな形態だけ残しているので、まったく非合理的な経営活動になっていると思う。会社上層部の思考停止の怠慢による無駄を、現場の底辺で頑張っている社員が合理化でカバーしており、結局業績は横ばいか、緩やかな下降線で収まっているのだと思う。ひょっとしたら今こそ、「大企業」という名の怪物を中小企業(ベンチャー企業)がひっくり返す時代がやってきたのかもしれない。なぜなら、ベンチャー企業でこんな無駄をやっていればすぐに倒産してしまうからだ。そして今までマスを取って浮かれていた大企業は「穴」が至る所にできてしまっているので、案外その牙城を崩すのは簡単なのかもしれない。
まとめ
- 手段は目的を達成するための手立て。手段を目的化すると全く意味をなさない。
- 本質を見極めて行動することが、これからは大切になる。(簡単に足元をすくわれる時代が来る)