とにかく破れかぶれで
久々の公開である。今日から不定期で、音楽配信についてブログを書いていこうと思う。気が狂ったかと思うかもだが、本人はいたって真剣である(笑)。
社畜が嫌で会社を辞めたので、今更残りの人生を新たな社畜として生きていくのが嫌なだけなのである。ダメでもともとと言うより、すでに十分社畜人生を味わったので、今度はアーティストを目指す「底辺人生」を味わおうというわけである。人生に生きる意味はないので、社畜を死ぬまで続けるより、一度くらいは夢を追っかける人生を目指してみるわけである。そうすれば、あの世へ行って、たくさんの社畜の霊たちに交じって、少しは風変わりな酒の肴を提供できると考えているわけである。でも本当は「死後の世界」など信じてもいないし、興味もないので、どうでもいいのである。要は、自分の人生の意味付けのためである。
そうは言っても「常識」は邪魔をする
当たり前だが、こんなことは家族には言っていない。内緒である。だって確実にドリームクラッシャーになるのは目に見えているからである。私の家族は極めて「常識人」である。「ミュージシャンになりたい」なんて言おうものなら精神病院送りである。
そんな気持ちは私自身にもあるので、家族に言えないわけである。もし私自身が、心の底からアーティストになりたいと思っていて、そしてそれが私や私の家族にとってもっとも幸福な選択であると自信をもって言えるのであれば、躊躇なく私は家庭内で社畜を辞めてアーティストを目指すと宣言するだろう。
しかし私は、このような人生の選択を「正解」とした人物に出会ったことがないし、私自身も、この選択は「無謀」であり「幼稚」であるとさえ思うのである。ところが、私の中にあるこの「常識」は、私が経験した「社畜」生活をよしとするほどの十分な説得力を失ってしまっているのである。私にとって社畜生活と言うものはもうすでになんの魅力もなく、仮に社畜人生が人生の「正解」と言うのであれば、そんな正解はいらないとさえ思うのである。この意味において、私はもう十分に、精神を病んでいると言えるのかもしれない。
本来「普通」とは何かと言うことなのである。「普通」であることにはきっと意味はない。異常性の中に「進化」があるのかもしれない。歴史上の偉人は例外なく、最初は「奇人変人」扱いされているのだ。
具体的手続き
まずはエイベックスが主催しているBigUpに登録している。そしてYouTubeにも登録した。このことが収益化に結び付くかどうかはわからない。とにかくしばらくこのツールを使って「音楽配信」を続けてみる。そのための軍資金は若干の失業手当とパート、バイトである。まあ、おおよそ若い人が夢を追って人生賭けてやるような生き方であり、時間軸がさかさまなのだが、それも「前例がない」生き方のうちなのである。
当然、夢は夢と消えるのも計算のうちで、それはそれで立派な人生となりうると思う。いや、そもそも「立派な人生」などないのだから、やりたいように生きてみるだけなのである。
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じょじょさん、ご無沙汰しています。
musictrackを久しぶりに覗いてみたら、ここが貼ってあって……。
いくつかのコラボ作品が消えていて……いや、それは良いんですよ。
でもちょっと過去のが聴けないのは残念かなあ、と単純に思ったり……。
私は、ご存知かも知れませんが、2011年例の震災を機に20数年勤めた会社を離れ、2012年に東京から地元富山に帰ってきました。
50歳で、しかも田舎で、なかなか仕事も見つからず2014年にヤマト運輸の夜のバイトに就きました。昨年還暦を迎えましたが、仕事も続けております。並行して音楽活動もしてますが、流石にそれでは食っていけません(^^;;
ちなみに「永遠のゼロ」は作詞家としての才能を感じ、私自身惚れ込んだ曲であったんですが、あれを再アレンジ、再録音したいなあと思い、もう一度聞き直そうとしたことで、近況を知った次第です。
じょじょさん的に「永遠のゼロ」は、なしなんでしょうか?
ともあれお互い無理せず、そこそこ頑張っていきましょう(^^)