人生の可能性について
人生には無限の可能性があると言われる。この無限の可能性の正体とは一体何か?そもそも人生は有限だがこの場合の無限とは人生の「時間」のことではない。すなわち、明日死ぬことがわかっている場合でも、今日一日をどう生きるかは無限の選択肢があるという意味である。
人間が今日一日を生きるのは明日の可能性を信じているからである。意識はしていなくても、ぼんやりとは信じているだろうし、何も考えてはいないとしても、すくなくとも、明日の可能性を疑ってはいないはずなのである。
明日の可能性と言っても地球が単に宇宙法則に従って一回転することを意味するものではない。明日が決まっていないことが重要なのである。
もし明日が今日と同じかさらにつまらない日になることが決まっているのであれば、人は今日一日を乗り切ることができない。「サザエさん症候群」と呼ばれる鬱症状があるように、明日が地獄であれば人間は絶望に陥るのである。
逆に明日が天国であってもさほど変化はない。なぜなら明日が決まっていることは、明日を生きる積極的意味はなくなるからである。
つまり人生の無限の可能性とは、「明日が今日よりよくなる可能性をいくらか秘めた未知の未来である」ことが確信できる場合において、今日一日を生きる意欲に満たすものと言うことができる。
そして人生は無限の可能性に包まれているということの実際の様子は、このように今日よりよりよくなる明日を信じて今日の一歩を進めることにこそある。
さらに、無限の可能性に包まれた人生とは、このような一日一日を積み重ね続けることである。
最終的な人生の意味
そして人生最後の日、この世から消えていく瞬間に、無限にあった可能性から自分が実現した現実は後悔のないものであったかを振り返り、たとえ胸を張れるような立派な人生でなくとも、後悔さえなければ「幸せな人生」であったと満足して逝くことができるのではないだろうか?
人生を生きる意味は、無限にある可能性のうち、自分に合ったものを選択し、自分を磨いて輝かせることにある。鬱屈とした人生を歩んでいる人間からは光は感じられないが、エネルギッシュに毎日を送っている人間からは光エネルギーや熱エネルギーのようなもの、すなわち「情熱」と呼ばれる人間エネルギーが感じられるものである。
人生を生きるということは、このようなエネルギーを発散し、それによって世界を輝かせることなのだろう。もちろん世界と言っても地球全体や宇宙全体に影響を及ぼすような働きでなくともよい。この世界は因果律によって成り立っているのだから、負のエネルギーを放出しない限り、人生を生きることは必ず世界を輝かせているのである。
人生に生きる意味を見出すためには、毎日何かしら人生を生きるために「行動」している自分であり続けることが重要なのである。
※本日は先日より発生している耳下リンパ節の腫れにより頭痛がするのでここまでとする。