我慢して生きても意味はない
きっと好きなことして生きていいのだと思う。むしろそうすべきかもしれない。生まれ変わりを証明した人はいないのだから、普通に人生は一回だけと考えるべきだろう。だとすれば、「楽しい」方がいいに決まっている。少なくとも、「生まれてきてよかった」「生きてよかった」と思えるほうがいい。
たとえば、一般の人は小学生や中学生で学習する程度の「一般常識」はみんなもっていて、ほぼほぼ、三角形の面積や円周の長さの求め方、水の化学方程式、会社の利益の計算し方なんかはすぐに思い出せるレベルと思う。しかし、テレビで活躍してる人のクイズ番組なんか見てると、多少の演出はあるにしても、「え、マジでこんな問題解けねぇのかよ」と思いたくなるような低次元の水準をさらけ出していることがある。「演出」というなら何を狙った演出か聞いてみたくなるような、ある意味「不快」にさえ思えるような「無知」さを放映している場合がある。私はそういう場面に出くわす度「ああ、俺、こいつらより稼ぎ悪いんだよな」とか考えてしまう。
子供のころから「いい学校に入って、いい会社に入れば人生勝ち組」と教えられて、いやなことを我慢して、好きなことをあきらめて一生懸命頑張ってきても、結局は人が評価されるのは他人の都合である。自分が誰かにとってどれだけ心地い存在かで評価が変わり、人生が変わる。どれだけ頑張ってきたか、どれだけ我慢してきたかではないのである。
であれば、自分の好きなことをして、それが他の誰かに心地よければ「丸儲け」ということだ。一生懸命我慢して一流といわれる企業に就職して「勝ち組」に入った皆さんも、私が見る限り、「我慢」は永遠に続くようだ。「我慢」だけが人生というのなら、そしてその我慢さえ「評価」されるかどうかはわからないのであれば、「評価」されることを捨てて、「好きなように生きてもいいのかもしれない」。評価されなければ(他人にとって価値がなければ)生きていけず、評価されるかどうかは他人次第なのなら、偶然認められることを期待して(期待もせず?)「思うがままに」やってみても、我慢することと大差はない。
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