じょじょ日記

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人生論

人生の目的とは何か?

投稿日:2020年7月30日 更新日:

人生の目的の内容とは何か?

人生の目的を持てとかいう議論がある。よく聞くと、人生の目的って要するに自己実現せよということのようだが、なんだか私にはわかったようなわからないような議論なのである。

たとえば「プロ野球選手になりたい」「プロ野球選手になるために人生のすべてを賭ける」とかいう人の場合であれば、その人の人生の目的は「プロ野球選手になること」でいいと思う。しかしこのように、誰でも「何になりたいか」という目標が決まるわけではないと思う。また、一方で「プロ野球選手になりたい」と思っていても、全員がプロ野球選手になれるわけではないと思う。プロ野球選手とかいう職業の場合、明確に数字で評価される以上、どうしてもその水準に達しないこともあるし、ケガや病気でプロ野球選手になることを断念してしまわなければいけない場合もあると思う。

そういった場合でも、何か他の自分のなりたいものを見つけてそのものになることを、目的に生きていくこと、そして単なる金もうけや他人からの称賛を受けるというようなことではなく、「自己実現」することを人生の目的とすることがよい生き方だという主張だと思う。

「自己実現」ってなんだろう?そしてその定義に明確な内容があるのだろうか?

さらに、もしその目的(自己実現)が達成されなかった場合は「不幸な人生」ということになるのだろうか?自己実現できなければ、本当に人生として幸福ではないのだろうか?

人生の目的を持つことの意味とは?

幸せになりたければ「自己実現せよ」というのは、マズローの欲求5段階説をもとにした人生論だと思うが、人間は自分の欲求を満たすためだけに生きているのだろうか?もっと言えば、人生の生きる意味とは、自分の欲求を満たすことにあるのだろうか?

このような問いを考えたとき、私はマズローの欲求5段階説を人生論に応用すべきではないと思うのである。マズローは確かに5段階目の「自己実現の欲求」(晩年に「超越的な自己実現欲求」を加え、6段階にしたようだが)を、高次元の欲求と定義したと思うが、しかし彼はこれを人生論と結び付けて公表してはいないと思う。要するに、例えば最低次元の「生理的欲求」が満足されない人生は不幸だとは言っていないと思うのである。

マズローが言った言わないはここでは措くとしても、食うに困る人生を、一概に不幸だとは言えないと思う。もちろん、食えないことは幸せとはいいがたいが、だからといって不幸だと決めつけたり、むやみに同情したり、ましてや蔑んだりするのは違うと思うのである。

それは超越的な自己実現欲求が生理的欲求に勝るというような単純な話ではなく、そもそも欲求なんて満たされなくても、目的が達成されなくても、幸せは感じられるのではないかということである。

確かに人生は、いろいろな段階を踏んで進展し、時に何かの目的を達成したりしなかったりしながら過ぎていくものなので、何らかの欲求を満たすことが人生のゴールであり、目的であると思いがちである。そう考えた方がわかりやすいことは確かだ。

しかしそう考えたとたん、何か「人生の生きる意味」が、自分の外にあるような気がしないだろうか。そして、何らかの(他人に見える)形の何かを残すことが「幸福」と思いこんでしまわないだろうか?

私はおそらくそんなものはないと考えるのである。そんなに人生は「不自由」ではないと思うのである。

人生の生きる意味は自分の中に作りこむしかなく、そんなものは他人に説明できるものもあれば、できないものもある。目的をもって生きることは素晴らしいが、目的のために生きるのでは決してない。目的を持つそのこと自体は何の意味もなく、その生きざまにこそ意味があると感じられれば、それでいいのだと思う。

もう少し具体的に言うと、その目的が「自己実現?」であろうが「金持ちになる」であろうが「プロ野球選手になる」であろうが、何でもいいのである。目的そのものに意味があるのではなく、意味がある人生にするために目的をもって生きるだけで「幸福」なので、目的が何であろうが、それを達成できようができまいが、何でもいいのである。目的を達成したときの達成感や、または目的を達成できなかった時の敗北感など、死ぬときには何の意味もない。ただ、「自分の人生には意味はあったか」の問いに「Yes」と答えられるかどうかだけだと思う。

人生の幸福感とは、人生の満足感であり、それは人生の生きる意味の有無によって決定されると思う。もしそうであれば、「自分の人生には生きる意味はあるか」の問いに「Yes」と答えられるのであれば、誰でもいつでも幸せになれるはずである。

「幸福」とは自分なりでいいので何らかの意味を残せればいいだけなのだ。要するに死ぬときに、人生において何の欲求も満たせなかったとしても、ただ、意味を感じられればいいだけなのだ。具体的には何でもいいから目的を持って生きさえすれば、そしてそれが誰の迷惑にもなっていないのであれば、ほんのささやかな目的であっても、その実現に向けて生きたこと自体が、幸せな人生の本質であると思う。「自己実現すること」さえ人生の目的や義務ではないほど、人間は「自由」なのだと思う。

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  1. […] 昨日「人生の目的とは何か?」という記事を書いた。しかしまだ自分でもモヤモヤする部分があるので加筆したい。 […]

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