人生の成功報酬に意味はあるか?
大金持ちになること、名声を得ること、大人気を博すこと、異性にモテモテになること。人それぞれ、人生の目標、成功の基準というのは違うと思う。どれが正解ということはないと思うが、それにどんな意味があるのだろうか?人生の成功報酬が、生きている間のみ意味や価値のあるものであるのであれば、そんな報酬を得るためだけに人生を生きることは、無意味といえるだろう。「死」の向こう側が明確になっていない以上、生きているうちの成功が人生の成功といえるかどうかは釈然としないのである。
人生の成功を考えるとき、人生をどう生きるべきかという問題も大きく関係してくると思う。人生はどう生きるのが正解かがはっきりすれば、その通りに生きられれば「成功」といえるだろう。しかし、人生はどう生きればいいかなんて誰にもわからないのである。なぜなら、人間はなぜ生まれたのか、何のために生きていくのか、そもそも人生に生きる意味があるのかについて、我々はまったくわからないからである。
人間は生まれる前はどこにいたのか、死んでからどこへ行くのか、また、生まれ変わるのか、そのまま消滅するのかは、今現在科学的に(万人が納得できる程度に明確に)判明していない。私は、明確に判明していない以上、「何も無い」と考えるのが正しい、というか、そう考えるしかないと思う。人間はどう生きるべきかなんてもう何百年、何千年と考え続けられてきたが、いまだに答えは判明していない。そうであれば、もういい加減、「そんなもの無い」と考えるのが普通正しいと思う。※どう生きればいいかについての考えはこちら。
意味がなければ自分で作ろう
生まれる前も死んだ後も、何も無いという考えを受け入れられるなら、この世でのみ存在する「お金」や「名声」や「人気」をかき集めて生きていくことなんてむなしい。ではどうするかだが、結局、無いなら作るしかないと思う。つまり、人生に生きる意味はないが、だからこそ自分で作るのである。要するに自分の心に従って生きていくということである。そもそも死んだらすべてなくなってしまう。なので、本質的には何もなくてもいいのだが、生きている意味が何もないのは、一度生まれてしまった人間にはとても生きづらいので、自分で作るのである。いいかえれば、決まった生き方はないので、自分で生き方を作らなければいけないということだ。もっと言えば、自分で作っていいのだ。
そのように考えてくると、人生の成功とは、「自分のやりたいように生きたこと」(自分の決めた人生のルール通りに生きたこと)が「成功」といえるのだと思う。わかりやすく言うと、仮に「お金をかき集めることが人生の成功」と決めるなら決めてもいいが、それが本当に自分が「やりたいこと」なのかということである。なんとなくお金を集めてみたけど、死ぬ間際になって「これやっぱり本当に自分が欲しいものではなかった」と気づいてしまったら、それは大失敗である。
このように考えてくると、本当に何もわからなくなって、「自分で決めろと言われても何をどう決めていいかわからない」というのが本音だと思う。そこにはいつまでたっても万人に共通する答えはない。「自分で」考えるしかないからである。ただ、それを決めるヒントとして、人間は何もないところから生まれ、何もないところへ帰るということを「自覚」することだろうと思う。そうすれば、やぶれかぶれでとりあえずお金をかき集めることを成功目標にして人生を送っても、死ぬときにお金は「無価値」になることを知っておけば、仮にお金を集めることに成功しても失敗しても、絶望しながら消えていくというような、情けない人生は送らなくて済むような気がするのである。お金を集めるために「頑張って生きた」自分に、何かしら納得できるものを作って、残して、消えていけるような気がするのである。
きわめて単純に言ってしまえば、人生とは何か自分で本当にやりたい目標を作って、それに向けて頑張ることによって、心に残ったものが、人生の成功報酬となるのかもしれない。そしてその成功報酬をきっちり受け取るためにも、「人生に絶対的な成功はなく、自分で感じ取るものだ」という心構えを養っておきたい。