マウンティングの意味
マウンティングとはおおむね、他人に対して自分の方が優位性があることを直接的、または間接的に主張し、相手の服従を期待する行為のことと言えると思う。大切なポイントは、「相手の服従」であり、こちらがあからさまに服従姿勢を示さなくても、もしマウントを取ってくる人物に対して「反論」でもしようものなら、無限のループ攻撃に合うことで、「ああ、彼(彼女)はマウントが取りたかったのだな」とわかるのである。
マウンティングされたときの対処法としては、マウンティングを確認した程度にもよるが、もし悪性のマウンティングの場合は、もう絶対こっちのいうことは聞いてもらえないので、早々に「退散」することである。よほど大切な取引先でもない限り、「ちょっと急いでいるので」とその場を立ち去ればOK。
仕事上の付き合いのあるような場合、仕方ないので「はあ、なるほど」とか「さすがですね」とか「勉強になります」とかいう風に相手をもちあげつつ絶対謝らないというやり方がいいと思う。謝ってしまうと、つまり服従姿勢を見せてしまうと、以後様々にやりにくい事象が生じてくるので、とにかく今の会話を早く終わらせて、今後は取引やお付き合いを縮小していく努力をすべきである。
マウンティングをしてくる性質というのは、自然界での過酷な生存競争を想像すると、自然淘汰の法則からは生き残りやすいことは理解できると思う。いままで長期にわたってこの地球上での過酷な環境を生き抜いてきた遺伝子なので、おそらくこれからも生存し続けると思う。これだけどこにでも、そして男女問わずだれにでもある性質なので、この遺伝子はかなり大きな範囲に勢力を広げていると思われる。
マウンティングを足らずに済ませる考え方
IQが低い場合、マウンティングをとるという行動を抑えられないようであるが、ある程度IQのレベルがある人は抑えられるようである。
なぜなら、IQがそこそこ高ければ、マウンティングを取ることは、感情を持った人間関係においては不利に働くことを理解できるからである。また、上には上がいるということを無意識のうちに知っており、その場での優位性を誇示してもその支配関係はいずれすぐに別の場面で逆転することを知っているので、無意味なマウントを取ることはないようである。
たしかに、もし「人生に生きる意味はない」ということを理解できる人間であれば、価値観が一つに統一される可能性はゼロに近いことを理解できるので、自分の価値観を他人に押し付けたり、自分の一面的な優位性をもって他人を全方位的に支配しようなどという感情は持てないと思う。
わからないことを知っているという「無知の知」も、人生に生きる意味がないことを知ると、理解しやすいと思われる。
他人にバカだと思われないためにも、長い歴史の中で、遺伝子レベルで自分の中に染み付いたマウント欲求(承認欲求の発動)には気を付けたいものである。