私はアンチがつくほど人気がないので、特に今、「アンチ」に困っているわけではないが、だからこそ今のうちに「アンチ」について述べておきたい。
目次
アンチの意味とは?
「アンチ」は英語の「Antipathy」に由来する言葉だそうだ。「反感」や「嫌悪」「対抗」といった意味がある。一般的な使い方としては、「アンチエイジング」や「アンチ巨人」というように、言葉の前につけて対抗する意味あいを付加するために使う。「アンチエイジング」は「エイジング」(加齢)に「アンチ」(対抗する)という意味であり、「アンチ巨人」は、「巨人」に「アンチ」(対抗する)という意味になるのである。
最近、インターネット上では「アンチ」本来の意味をさらに発展させて使うようになった。特定の個人や企業、団体や製品をターゲットにして攻撃することや、嫌悪している企業や製品について悪意のあるコメントを書き込んで叩く行為やそういった行為をすることを「アンチ」と呼ぶようである。
アンチの使い方は?
- コメ欄に「アンチ」がわいてきた。
- あのアイドルグループには「アンチ」が多い。でも裏を返せば魅力的だということです。
- 巨人の話で盛り上がっていたけど、「アンチ」の自分は参加できませんでした。
このように使用する。「アンチ」とは悪意のあるコメントを書くことを目的としてネットで活動しているような人のことを言うのである。
アンチの本質とは?
ではなぜこのようなアンチが発生するかだが、これはケースバイケースで、一概にアンチに攻撃されている人が被害者で、アンチが加害者とは言えないケースもある。人間の深層心理に起因するものなので、問題は複雑である。
しかし私は、この問題の根源は、やはり「人生に生きる意味はない」ことにあると思っている。この真理をなんとなく感じている「アンチ」が、自分の生き方を積極的に主張し、謳歌している人の様子を見て、単純にその主張や様子に「疑問」や「嫉妬」を感じているのだろう。特に、過剰な正義感を伴って攻撃している「アンチ」を見ると、なんか本当にかわいそうに思えてくる。言っていることのほとんどはブーメランになっていることに、本人は全く気づいていないのである。
人生について何かを意味ありげに話すことは、人生に何らかの希望をもって生きてきて挫折したばかり、あるいは絶望したばかりの人間には、「詐欺」とすら思えるに違いないだろう。「嘘つくな!人生そんなに簡単じゃない!」って感じなのだろうと思う。そこからもう一歩踏み込んで、「ああ、人生に意味なんて最初からないんだな、(だったら自分で作っていくしかないんだな)」と思えればいいが、まあ、普通はそんな風には思えない。だからこそ今でも、いや、いまだに集団でやる宗教が大流行するのだと思う。そして「アンチ」は「教えてくれ!」という叫びとともに、対象者を執拗に攻撃するようになるのだろう。
裁判になって実際に「アンチ」本人と会ってみれば、実はとても真面目そうな、気弱そうな人間で、年齢も十分にオトナであったりするのは、そういった深層心理のなせる業だと思う。だからこそ、匿名で「アンチ」になれるのだろう。ひょっとしたら、もっとレベルの低い、幼稚なアンチもいるかもしれないが。
アンチがわかっていないこととは?
もしも、「人生に生きる意味はない」という真理さえ受け入れられれば、発言者、表現者の考えを尊重するだろうし、もし明らかに間違っていて教えてあげようというのであれば、そういう言い方をするだろうし、仮にそれを相手が受け入れなくても、それはそれで納得できるはずである。泥沼化してしまうのは、「正しい答え」がただ一つと思い込んでいるからであり、所詮ネットの喧嘩なんて、生きていくうえで、何の意味もないことを知れば、そんなことに時間を割くこと自体、ばかばかしいと思うはずである。ネットは「匿名」なので、仮に自己否定されても、リアルの自分は全く傷つかないのだから。
にもかかわらず、ネットの喧嘩が泥沼化するのは、お互いが「正しい答えはただ一つ」教の信者であるからだ。「正しい答え」は人による。ただし、利己主義的ではない「答え」である場合に限るが。そのうえで、もしそれほど大きな実害がないのであれば、その答えの違いは「見解の相違」であり、それ以上は個人の思想の自由であり、それが認められてこそ、真の自由な社会と言える。
逆に屁理屈ではない実害が存在するなら話し合いで妥協点を見出して、ルールを決めればいい。そのような手続きが認められてこそ、真の平等な社会と言える。
そして基本的には、「アンチ」も、その攻撃対象者も「気に入らなければ付き合わなければいい」のであって、ネットなら見なければいいのである。
まとめ
- 「アンチ」とは特定の個人や企業等をターゲットにして攻撃することや、悪意のあるコメントを書き込んで叩く行為やそういった行為をすること。
- 「コメ欄に『アンチ』がわいてきた。」のように使う。
- 「アンチ」は意味のない独善的な正義感や使命感に襲われて行うことが多い。
- 「徹底的に」攻撃したり、されたりすることの意味をよく考え、「アンチ」の側も攻撃される側も、最終的には「見なければいい」ということに気づかなければいけない。