じょじょ日記

リストラおやじのつぶやき、もしくはエッセイ

人生論

いじめについて

投稿日:2020年6月13日 更新日:

いじめの構造と対応についての考察

なぜいじめが起こるかは、結局のところ、生き方が大げさだからだと思う。つまり、「人生」に大きな価値があると思い込んでいるから、自分の生き方に不安になり、他人の生き方が気になり、自分との違いに不安になり、他人を自分にあわさせようとするからだと思う。要するに、人生における不安がいじめを引き起こしているのだと思う。

やっかいなのは、この「不安」をいじめる側が認識していないことだ。もともと原因はいじめる本人の中にあるのに、それをすり替えて弱い人間のある部分のせいにして、自分の不安を隠蔽してしまうことにある。いじめられる側は、いじめられる原因はもともと自分にはないのだから、何をどう対処してもいつまでたってもいじめは止まないことになる。

さらに、このいじめを行っている人間に対して、別の人間がそのいじめを批判しても、そもそもいじめている側にとって、「悪いことしている(いじめている)」認識はなく、ただ、自分の中の「不安」から逃避しているだけなのだから、その批判を素直に受け止められるわけもなく、したがって、その別の人間さえもいじめの対象にしてしまうのだ。

つまり、このいじめをする人間のいじめをやめさせるには、そのいじめる人間の中にある「不安」を解消してやるしかない。最初に述べたように、その「不安」は人生に大きな価値(意味)を感じてしまっているから起こるのであるから、「人生に生きる意味はない」ということを知らしめれば、いじめは終わると思う。

ところが、このいじめをする人間というのは、そもそもこの大した意味のない人生において、他人をうらやんだり、妬んだり、恨んだりすることに全くなんの意味もないことに気づけないほど、「必死に生きている」「滑稽なほど真面目に生きている」人間なので、他人から「もっと肩の力抜いて生きて行けよ」と言われても、理解できるはずはない。いじめをする人間に何かを言って聞かせて理解させることなど絶望的である。

したがって、これはもう、いじめられている人間自身が、「人生に生きる意味はない」ということを、心の底から認識するしかないと思う。どうせいつかは死ぬのである。ならば「自分」を精いっぱい生きよう。そのためなら、他人がどうであろうと気にしている暇はないはずだ。つまり、いじめに必死になっているやつなど、「無視」して、「無価値」であることをこちらから態度で示して自分を生きていこう。そう心に決めるしかないと思う。そして、それを邪魔するなら戦うしかないと思う。かわいそうだが、告訴でも通報でも何でもして、あるいは「正当防衛」をしてでも、いじめられている人間の方こそ、「自分」を生きる努力をすべきと思う。

実際のところ、ほぼすべてのいじめ事件は、いじめる側いじめられる側双方とも、「生きることに盲目的」になりすぎて、一番大切なものを見失ってしまっているからどんどんこんがらがっていくのだと思う。

-人生論

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

創造って?

創造性の人生における意味、重要性、そしてその価値とは?

創造の定義とその開発手法 創造とは、日本創造学会によると、下記の通りである。 言い換えれば、「創造」とは情報ブロックを様々に組み替えて、今までになかったモノを作り出す行為のことか?子供がレゴブロックを …

謙虚とは何か?

「謙虚」とは何か?

「謙虚」とペアの「自己肯定感」 「謙虚」であることと、自己肯定感の高さとはよくペアで論じられることもあると思う。しかし私はこの概念は似て非なるものと思う。本音と建前ということがよく言われるが、これはう …

消えるなよ

自ら消えなくていんじゃね?

死ぬまで生きてみてはどうか? 東京八王子で高1が拳銃自殺したらしい。動機は病気か?拳銃入手経路は不明(6/10現在)。自殺はしなくていいと思う。なぜなら、どうせ死ぬんだから。金持ちも貧乏も、健康な人も …

定年会について

定年者会について

定年者会とは? 私の勤めていた会社でも定年者の集まりというのがある。かつて高度成長時代の定年者なんてよほど贅沢さえしなければ、ほとんど退職金、年金だけで食っていけるので、普通は定年後は仕事もせず、遊ん …

天才って?

天才とは何か?その意味と付き合い方

天才の意味するものとは? 『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、「天才(てんさい)とは、天性の才能、生まれつき備わった優れた才能(生まれつき優れた才能を備わった人物)のことである。」とされ …