「荒らし」の本質とは?
ネットにおいては、いつまでたっても「荒らし」がはびこっている。その被害もどんどん拡大して無視できないような状況になっているらしい。
私はネットが「匿名」で広がったのは、「本名」では言いにくいことも遠慮なく発言できて、もしうまくいけば社会や世の中が変わる可能性も秘めていることが原因と思っている。※匿名に関する記事はこちら。
つまり、たとえば誰かが自分の勤める会社に対して不満を持っていたとする。でもそんなこと会社内でいえば自分の立場が悪くなる。下手に会社ににらまれて出世に響けば家族を路頭に迷わせることになる。なので匿名で、「うちの会社は・・・」とつぶやけば、誰かが反応してくれて世論を形成して、それがひいては会社の体質改革につながることもあるというわけだ。仮にそこまででなくとも、ストレスの発散にはなる。社畜にとっては、優秀な「清涼剤」「精神安定剤」なのである。
言い換えれば、ネットでの「匿名」は「本音」であり、「自分自身」であり、むしろ自分にとって「本名」よりも重要な存在になりうるのである。
一方で「荒らし」は、「本名」ではなく「匿名」ではあるが、それは自分自身ではなく、「本名」よりもさらにどうでもいい「仮の姿」らしい。要するに、性根まで腐った「社畜」というわけだ。彼(彼女)の目的は「改善」ではない。とにかく、鬱積した自分のストレスを「発散」できればいいのである。むしろそれこそが目的で、「建設的な」議論など端から求めていないのである。この点ではマウントを取りたがる人と同じレベルのIQの低さと思う。※マウントを取りたがる人についての記事はこちら。
コミュニケーションの本質とは?
「本名」であっても「匿名」であっても、「真実」を求める気持ちがないと、「人間」としてコミュニケーションは成立しない。「本音」を言うのは勇気がいるので「匿名」にしたとしても、その本質は「自分自身の本体」でなければならない。
「荒らし」にまで落ちぶれてしまった人間も、実は最初の一言は、純粋な「本音」であったかもしれない。しかし、いつでも「本音」は「正しい」とは限らないので、きっちりと「論破」されることもある。その時の対応を誤ると「荒らし」になってしまうのだと思う。
従って、「本音」をぶつけて、相手から「教えて」もらえれば、恥ずかしがらずに「ありがとうございました」と言えばいい。「匿名」は「自分自身の本体」「本音」であるとはいっても、別に実社会で暮らしている「本名」の自分は全く関係ないし、すこしも生きづらくなることはないのだから、知らん顔して胸を張って生きていっていいのである。
そして、逆に実社会で自分と同じような過ちをしている人を見つけたら、「本名」の自分で、その人物に「教えて」あげればいいのである。その時は正確にネットの受け売りでも構わない。そんなこと、誰も気づかないからである。そのようにネットを使う方がよほど役に立つ。
ところが、人格が未熟なバカは、「匿名」であるにもかかわらず、素直に謝ることもできず、まるで「本体」が批判にあったときのように「反論」し、喚き散らし、相手を傷つけるのである。だから「荒らし」は中学生以下の知能しかもっていないと認識できるのだ。そして、知能は中学生以下だが、心は十分に汚れているオトナなので(笑)、本当に質が悪い。こうなってくると、「人間」として扱うのが妥当かどうかも疑わしくなってくる。
こうして、やがて正常な人たちからは、「『荒らし』はスルー」とか「逆に『荒らし』の相手をするのはバカ」とか言われて「匿名」の自分すら孤独に追い込まれてしまうのである。
このようになってしまえば、「ストレス発散」を目的として始めたネットが、逆にストレスを増幅してしまうのだ。「素直に」謝らなかった、たったそのことだけでだ。
人間、まったくストレスなく生きていこうとするのは無理がある。ストレスは最小限に抑え、長引かさない努力が必要なのだ。ストレスの発生自体を抑えようとすると、逆にエネルギーが圧縮充満して、やがて大爆発を起こす。そうなる前に、自分の非は、素直に謝ってしまうことがとても大事なのだ。
「荒らし」をしてしまう人間はそのことに気づくべきである。そして、一日も早く、「荒らし」行為から足を洗うべきだ。そうしないと再生不能なまでに心が腐ってしまい、迷惑Youtuberのような「実生活」を送る羽目になる。気を付けるべきである。