自分を超えた存在を意識しすぎないこと。
国立青少年教育振興機構が、米国、中国、韓国、日本の高校生を対象に行った意識調査(2018年)がある。この中で、「私は価値のある人間だと思う」という質問に「YES」と答えた割合は、日本人は44.9%だったそうだ。対して、米国は83.8%、中国は80.2%、韓国は83.7%といずれも高い数字が出ているらしい。
日本人はなぜこんなにも自信のない民族なのだろうか?この答えは私などにはわからないが、日本は島国で平野も狭く、そのくせ人口も多いので、おのずと「集団生活」を強いられてきたことに原因があるように思う。狭い土地で密集生活をする場合、それぞれの領地を確保することから始まり、自然発生的に「ルール」がうまれ、自由を束縛されることに長い間慣らされてきた国民性のせいではないだろうか?そしてその「集団の利益」という犯してはならない絶対的な「神」が我々日本人の上に君臨しているので、まずは「集団の利益」を優先し、「個性」は二の次になる。したがって、自信=自己肯定感は低くなる。「集団の利益」を優先すれば、集団の価値を高めることが、自分の価値を高めることになるので、集団の役に立っていると「自信」をもって言えない以上、「自分には価値がない」という理屈になるのだと思う。
要するに、日本人は「自信」に根拠を求める必要があるのだ。根拠がないのなら、勝手な自信をもって勝手な行いをせず、集団の利益のために働きなさいという不文律が、古代から受け継がれてきているのだと思う。
自信に根拠は必要か?
しかし、そもそも「自信」に根拠が必要なのかということである。おそらく純粋な「自信」とはまだ達成していない課題を、将来自分が必ず克服できると信じることなので、そこに「根拠」などあるわけがない。「根拠」があれば、それは「自信」ではなく、単なる実行計画ではないか?純粋な意味での「根拠」とは、自分の中に「燃えるものがある」かどうかだけだと思う。ほとんどの自信に「根拠」など必要ないのだ。
おそらく日本人は「集団の利益」というありもしない怪物を恐れすぎているのだと思う。自分が生きていくのに集団は必ずしも必要ない。まずは自分あっての「集団」である。なので、日本人はグローバル化したことをきっかけに、もう少しほかの国を見習って、「自信」=「自己肯定感」を持つべきではないか。
そのためにはまず、自分を超えた存在を意識しすぎないことだと思う。「集団」よりも、まずは「自分」である。自分に基づいて生きていこうとする姿勢が大切なのではないか?
まとめ
- 「自信」にそもそも根拠はいらない
- 自分を超えた存在(集団)を意識しすぎないこと
- 「集団」の前に「自分」がいることを忘れずに