じょじょ日記

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人生論

教養とは何か?その意義と効用。

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教養の持つ意味とは?

教養とは生きていくための便利なツールであると思う。

私たちは、学校での勉強を通じて、問題の解法(のコツ)を身に着ける。例えば、国語であれば「それ」「これ」「あれ」などの代名詞が指す内容はその文の近くに記載してあるとか、数学において「応用問題」はいくつかの解法パターンを覚えてしまえば、あとはその問題に応じて数値を変更するだけで解答が導き出せるとか、化学でいえばイオンの電荷を覚えれば化学方程式は簡単に作れるとか、歴史、英語における年号、単語の暗記はただひたすら繰り返しによる記憶の刷り込みで覚えるのだとかいった具合である。

このように、問題の解法にはある一定のコツみたいなものがあると理解した人間は、社会に出てもそのような「知識」「知恵」が生活を助けるのではないかと考える。「知恵袋」なるサイトが人気があるのはそのためだと思う。

実際、例えばエンジンオイルはエンジンのピストンとシリンダの潤滑油であるという理屈を知っていれば、ガソリンスタンドでオイルの交換を勧められても、自信をもって断ることができる。このように、よくわからずなんとなく断って、後で不安に駆られるより安心していられるのである。こうして、「知識」が我々の人生を生きやすくする経験をするのである。

要約すれば、人間は一般的には「勉強」という学校教育を通して「知識を持つこと」の有用性を理解し、社会に出てそれぞれの立場で必要な知識を身に着け、生きていく力としての教養を育んでいくことになるのだと思う。

教養の本質とは何か?

上述の通り、「普通」人間は、学校で教わった勉強によって、「知識」や「知恵」があれば、人生が楽になることを経験するので、大人になって社会に出れば、学校の「勉強」と同じように、仕事や職場においても、何かうまくやる「コツ」みたいなものがあるはずだと考える。

例えば「エンジンオイル」のような知識も「コツ」の一種だし、○○さんは▲▲が好きなので、▲▲の話をしておけば、うまく付き合えるとか、この資料はここがチェックポイントだから、ここさえ押さえておけば誰からも文句は言われないとか、そういった様々な「コツ」を習得して生きていこうとするわけである。

これらのコツの習得や理解に「教養」は役に立つし、逆に「教養」そのものが「コツ」になりうる場合もあるのである。

従って、「教養」は生きていくために便利なツールになりえるのである。

教養の人生における効用とは?

「教養」が生きていくための便利なツールになるのであれば、数学、物理、歴史から美術、音楽、哲学に至るまですべての教養を身に着ければ最強になれるはずである。しかし、時間的にも、生物学的にも、生理的にもそのような超人的知識、情報を身に着けることは不可能である。

従って、「普通」は人類が獲得したすべての知識を獲得しようとすることはあきらめ、「教養」を身に着けることに対してトラウマを覚え、勉強というか、学習を拒否するようになる。だからこそ、「成功者」に手っ取り早く「コツ」だけを教えてもらおうとするのである。そしてこのことが、「詐欺」を生み、「不幸」を作り出し、人生を無意味にする。

しかしもし、この世の中にすべての「学科」に通じる魔法の「統一理論」が存在すればどうか?それさえ知っていればどんな人生の悩みも簡単に解決するような魔法の理論があるとすれば、誰でもその理論を学びたいと思うはずである。

だが今のところ、そんな便利な理論は発見されていない。これから先も発見されるかどうかは謎である。しかしそんな理論はないと証明されたわけではない。

ということは、すべての知識を習得するということは無理があるとしても、自分が興味が持てるできるだけたくさんの「学科」の知識を蓄えておくことは、無駄にはならないことになる。ある一つの「学科」の法則が、思わぬところで、人生の課題の解決の役に立つこともあり得るというわけだ。

教養の真髄とは?

教養とは「リベラルアーツ」とも呼ばれ、もともとはギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持ち、ヨーロッパの大学制度において中世以降、19世紀後半や20世紀まで、「人が持つ必要がある技芸(実践的な知識・学問)の基本」と見なされた自由七科のことである。

しかし私は、その言葉から受ける印象の通り、教養とは「自由のための技術」と解したいと思っている。

自由七科といっても7つも学科をマスターするのは「普通」は至難の業である。私立大学が入学試験を3教科に絞るところもある通り、普通は無理のある設定と言える。

それにいつ役に立つかわからない興味もない学科を無理やり勉強しても、結局人生において何の役にも立たないこともある。それよりも、自分の好きなたった一つの「学科」でも、好きな時に好きなだけ勉強、学習して、それが人生のどこかで一度でも役に立てば十分である。

これがつまり、「教養」が私が言うところの「リベラルアーツ」、つまり「自由獲得のための技術」になりうる根拠なのである。教養とは、人生に縛られず、人生から解放されて自由に生きる力を与えてくれる大切なツールなのである。

要するに、「教養」は人生の課題解決のきっかけになりうる可能性を秘めており、「教養」を身に着けることは、生きていくうえで重要な役割を果たすと言えるのである。

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