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人生論

多数決とは何か?民主主義と少数意見の重要性について

投稿日:2020年8月24日 更新日:

多数決の意味とは?

多数決とは、こちらのサイトによると「政府を組織し、公共の課題に関する決断を下すための手段」であるとされている。また、同時に「抑圧への道ではない。」とも定義されている。ではどのように少数派の意見に正対すべきかについては言及がない。ただ、「自由な社会は、寛容、討論、譲歩という民主的過程を通じてのみ、多数決の原理と少数派の権利という一対の柱に基づく合意に達することができる。そういう確信があるのみである。」というにとどまっている。

私はこの人間社会は、理想的には神に近い指導者(カリスマ)が、絶対的権力をもって民衆を導くのが最も優れていると思うのであるが、まず、そのような人物が出現しそうにないこと、さらに、そのような人物が現れたとして、民衆全員がその価値を認め、絶対服従することはないことなどから、この理想は実現不可能であると思う。従って、独裁主義ではなく、民主主義は仕方なく「正しい」と考えるが、やはりその欠点は大いに気になるのである。

多数決の欠点、少数派の扱い

無政府状態になれば「強奪」「略奪」が蔓延する荒野になってしまうので、何らかの「政府」や「警察」あるいは「軍隊」が必要ではあるが、それは同時に、ある程度の「不自由」を強いられることになる。

例えば、誰にとっても暴力は許されないが、「暴力」の基準が人によってバラバラであるため、ある程度「基準」を決めなければいけないので、誰かの「自由」は制限されることになるのである。

決めごとが「暴力」のようなレベルのことであれば問題もさほどなく決まりやすいが、「迷惑行為」などという基準があいまいな事柄になれば、多数決という仕組みにおける欠陥が浮き彫りになる。

例えば、ご近所同士の騒音問題である。「うるさい」という基準は他人によって違う。もし自分の近所にHSP(人一倍繊細な人)がたくさん引っ越してくれば、その時から生活は地獄になる。テーブルにコップを置くのも気を遣うようになるかもしれない。逆に自分に従順な部下ばかりが引っ越してくれば、その日から生活は、やりたい放題の天国になるだろう(笑)。

このように、自分の意見と同じ意見の人がたくさんいればいるほど人生は生きやすくなり、そうでなければ生きづらくなってしまう。この世が「多数決」で決まる限り、この法則から逃れることはできず、しかも人生はたった一度しかないので、もしも自分が「普通」でなければ「地獄」の人生を一生、生き続けなければいけなくなるのである。

「普通」でありさえすれば、人生は楽勝である。「普通が一番幸せ」という人もいる。確かにそうだ。もし自分の考えることがことごとく「多数派」の考えに一致するなら、ほとんど悩まずに一生を送れるだろう。※「普通」に関する記事はこちら

しかし「普通」でなければ最悪である。もし自分の考えることがことごとく「少数派」で、いつも我慢を強いられる人生であれば、悩み多き人生になってしまう。そしてその課題解決は、少数派であるがゆえに誰かに頼ることもできず、なんとか一人で方策をひねり出さねばならない。

この時「少数派」は大きく二つの派に分かれると思う。一つは「自分はダメだ(不幸だ)」と考える派であり、もう一つは「自分は自分だ(幸福に生きるべきだ)」と考える派である。

もし自分が「少数派」に属する状況になったときは、当然「自分は自分だ」と考えるべきである。なぜなら、人生は一度しかないので、「不幸だ」と決めつけてしまった瞬間から絶対に幸せになるチャンスはない。なぜなら、少数派であるがゆえに、他人からアドバイスをもらえるチャンスも少なく、教えてくれる人間も少ないからである。

であれば、開き直って「自分は自分」と考えて生きる方が少なくとも「不幸が確定」している最悪の状況からは抜け出せる。しかもなまじっか「普通」であるがゆえに「考えずに」「偶然」「なんとなく」幸せの中にいる人間に比べて、「考えた結果として」「実感を伴って」「達成感に包まれて」幸せを味わえる分だけ、密度の濃い人生が送れるのである。

つまり「少数派」であるということは「普通」ではなく「特殊」であるがゆえに、簡単には幸福を味わえないかもしれないが、もし幸福になった時には、より深い味わいを感じられるという「特権」をもっていると解釈して前向きに生きていくべきなのである。

あるべき民主主義とは?

そして、もし「普通」の人たちが「普通であることに感謝」するのであれば、「特殊」な人たちの特権を妬むのではなく、むしろほめたたえ、喜び合うような社会になるよう、「多数決の原理と少数派の権利という一対の柱に基づく合意」が実現できるような社会の構築を目指すべきなのである。

往々にして人間は自分さえよければいいので、「普通」は「特殊」であることを嫌い、排除する方向に働くが、上記の理屈をしっかりわきまえて、寛容、討論、譲歩という民主的過程を通じて真の民主主義の社会を実現すれば、特殊派(少数派)の働きが、社会に貢献することによって、多数派にとっても「幸福が増大し、長続きする」社会になりえるのである。

希少であっても多様な性質を持ち続けることが不測の環境変化を乗り切る「体力」になりうるのである。

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