じょじょ日記

リストラおやじのつぶやき、もしくはエッセイ

人生論

個を出すということとは何か?

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集団の中には、必ず「常識」が発生する。

ネット社会が発展し、誰でもどこでも言いたいことが言えるようになってきて、昔に比べれば、日本人は結構自由に生きていくことができていると思う。しかし、やはり人間の常で、変化は若い人を中心に起こっており、我々年寄り初心者からベテラン年寄りにかけては、変化についていけていない。年寄りほど「個を出す」「個性を尊重する」ということが苦手であると思う。

「十人十色」といいつつ、「朱に交われば赤く」なり「郷に入れば郷に従う」ことをよしとする、「和を以て貴しとなす」「大和民族」であるからには、わかっちゃいるけどやめられないのが、「常識に従って生きていく」「空気を読んで忖度することによって、出る杭にならない」ということだろう。

人間は一人では生きていけないので、協働、協生は必須である。したがって、必要に迫られて、群れを作って生きていくのであるが、集団を形成すれば、野生の動物でも当たり前にあるように、その群れに「ルール」が生じてくる。

もしも子供の時から親の元で、とても小さな社会しか経験しないで生きて、そして20歳くらいになっていきなり既存の社会のルールの中で生きていくのは、当人にとっても不幸だと思う。あまりにも小さな社会でのみ生きていると、人殺しや窃盗が悪であることは最低限わかったとしても、たとえば「差別」や「いじめ」が悪いことは案外わかりづらい。従って、まずは社会の予備校的な段階として、「学校」等で、「常識」というものを知っておくことは重要であると思う。

なので私はやはり、子供は学校へ通うべきだと思う。子供を学校へ通わせない親は、なぜ子供を学校へ通わせないのかをしっかり認識しておかないと、やがて子供が成長して社会のルールに戸惑ったときに、「説明」責任が生じる。それを認識できていないのであれば、親の資格はないと思う。子供が「常識」を知る(ここでいう「知る」とは知識として「知る」という意味である。なじむ、なれるという意味ではない。)権利を奪ったのは親であり、子供はその存在自体を知らないのだから、学校に行かない子供自身に、「常識」を知らないことに関して、なんの責任もない。

「常識」という名の「怪物」を生むメカニズム

子供を学校に行かせたくないなんて言う発想が出るのはなぜか?それは、その社会を構成する構成員が最低限守らなければいけないルールが、「最低限」を超えて、過剰になっているからだ。なぜ過剰になるかは、人生に正解はないから、なんでも自由に決めていいという「不自由さ」が主な原因であるが、往々にしてその社会の権力者の都合でルールが決められることもある。※生き方に関する提言はこちら

たとえば、「学校に履いてくる靴下は『白』でなければならない」なんていう校則なんて、典型的である。誰がどう考えても、なんで白なの?っていう疑問が生じるが、そこは誰も問題視しない。靴下業者と癒着して儲けているのかもしれないが、さすがにそれはないとすれば、実は白でも黒でも何でもいいのだが、たぶん何かの色を決めて、それに従わない生徒は将来「常識外れになる」という「色分け」をしやすくなるという、「先生」という権力者の都合だろう。そしてそのはぐれモノを検挙した人数が、PTAや教育委員会に対する学校の「生活指導」アピールになっているかもしれない。とにかく、学校に履いてくる靴下は白でなければならないというような理不尽な校則が成立する理由は永遠の謎であり、日本の学校教育における七不思議のひとつである。

こんなバカな「常識」を教える学校にはいかなくていいという発想もあるかもしれない。しかし、私が言いたいのは、こういった過剰な「常識」は学校だけでなく、社会に出て会社の中でも、自治体の組織の中でも、趣味のサークルの中でも簡単に起こりうる現象であるということである。このような過剰な「常識」は組織が巨大化すればするほど、質が悪く、手が付けられなくなる性質を持っているということである。そして、その理不尽な経験は学校に行くことでしか得られないのである。

もしも学校でこのような理不尽を十分に経験し、その本質を考え、疑問を持って社会に出た人間は、おそらくその集団の狂気に復讐すべく、長年虐げられてきた自分の個性を武器に、集団の狂気の弱点を突きながら、障害物をなぎ倒しつつ、「成功」の道を進んでいくことができるであろう。しかし、この集団の狂気の存在すら知らない(「差別」や「いじめ」の存在すら知らない脆弱な)個性にあふれた子供は、社会に出たとたん、いきなり経験したことのない「理不尽な常識」という怪獣に打ちのめされるのである。その姿は無残なものになるだろう。なぜならその怪獣は丸腰で倒せるほど力は弱くないからだ。おそらく、そのような理不尽な常識という怪獣に立ち向かう力は持たないが、その存在を知って社会に出てきた無個性な思考停止の人間たちでさえ、理不尽怪獣に、手前味噌の独りよがりな個性という竹やりで戦いを挑み、無残に引き裂かれる幼稚なその躯を見て、バカにすることを通り越して、哀れに思うだろう。

この時、子供を学校に行かせなかった親は、全身血まみれの自分の子供から「なぜ社会にはあんな怪物がいることを教えてくれなかったのか」と問われて何と答えるのか?そこに答えを持たないのであれば、単に自分の子供の個性だけを伸ばして鎧を作らせなかった怠慢の責任を、その時その親は痛感すべきだろう。

個を出すということは、集団の狂気を生み出さないことではない。個(子)を育てるということは集団から隔離して育てるということではない。集団を形成する個が、そもそも本当に確固とした個を持っていると確信できない以上、個(子)を育てるということは、積極的に集団の中に個を放り込んで、集団の狂気に立ち向かう力を蓄えさせることだ。

そして、個を出すということは、集団の狂気に立ち向かう力を勇気をもって発揮するということだと思う。

-人生論

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