じょじょ日記

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人生論

「アホ」とは何か?その本質と扱い方

投稿日:2020年8月25日 更新日:

アホの意味とは?

「アホ」とは日本語で愚かであることを指摘する罵倒語、侮蔑語、俗語。近畿地方を中心とした地域でみられる表現で、関東地方などの「馬鹿」、愛知県などの「タワケ」、石川県・富山県・島根県出雲地方などの「ダラ」に相当する。(By Wikipedia)そして、愚かとは頭の働きが鈍いさま、考えが足りないさま(By goo辞書)なのだそうだ。

「かしこ」の生きづらさとは?

人間を「アホ」「普通」「かしこ」と三つに分けるとして、「かしこ」から見れば、「普通」も「アホ」も「頭の働きが鈍いさま」に見えると思う。しかし本来、「普通」の人に向かって「アホ」というのは間違っているだろう。

「かしこ」にとっては「普通」の気持ちなんてどうでもいいと思うが、しかし「普通」にも「プライド」はある。したがって、うっかり「普通」に対して「アホ」と言ってしまうと、強力な拒絶に合うし、「普通」は「目には目を、歯には歯を」ということのバカさ加減がなかなかわかりづらいので、「アホ」扱いされた「普通」は、逆に「かしこ」をアホ扱いし始める。このようにして世界から消された歴史上の偉人はたくさんいる。

だから、「かしこ」であればあるほど、「普通」とは何かを知る努力をするべきだし、「普通」と「アホ」を混同すべきではないのである。なぜなら、上述のごとく歴史が示すように、大概の「かしこ」は大勢の「アホ」によって抹殺されやすい。「かしこ」が認識されるのは、「かしこ」が世の中に頭角を現した、まさにその時ではなく、「かしこ」のいうことの「正しさ」がある程度「普通」の人たちに浸透してからである。最悪の場合は、「かしこ」が死んでしまってから、やっと気づくなんてことも往々にしてある。

「かしこ」組合というものが存在するとすれば、このような世の中において、「かしこ」が不当に迫害を受けないために、一部の「かしこ」が「普通」と「アホ」を混同して世の中で発言することに不快感を示すだろうと思う。

つまり、「一部のアホな『かしこ』により、『普通』を必要以上に罵倒したため、『普通』組合より我々『かしこ』組合に抗議や苦情が大量に届き、われわれ『かしこ』組合の活動が制限される事態となった。これは、正当に『かしこ』活動を行っている多数の『かしこ』の足を引っ張る行為であり、ひいては人類全体の進化を遅らせる危険をはらんでいる。ついては、『かしこ』組合の組合員各位においては、今後公の場での発言や行動に十分に留意いただき、われわれ『かしこ』組合の健全な活動を阻害することは慎んでいただくようくれぐれもお願いしたい。」というような通達が公布されるかもしれないのである(笑)。

「かしこ」の生き方とは?

では本物のアホと普通の違いをどう見分けるか?である。これは「かしこ」にとって、心情的にはどうでもいいのだが、「かしこ」の人生における重大な問題となりうる。

「かしこ」からみれば、繰り返しになるが「アホ」も「普通」も頭の働きが鈍いという点では同じなのだが、社会的に見れば、「普通」は多数決の原理によって「市民権」を得ており、「何も悪いことをしていない」のに「アホ」と侮辱を受けるわけであるので、「普通」からすれば「かしこ」はけしからんということになるのである。

「かしこ」からすれば、「そんなもん知るか!悔しかったらよく『考えて』反論してみろ」と言いたいのだろうが、「普通」は残念ながら、そんなこと「考えない」のだ。だって「頭の働きが『かしこ』より鈍い」ので。

つまり「考える」ことに優位性があるのは「かしこ」の方なので、「かしこ」が「普通」に対して「考えろ」と偉そうに言ってはいけないのだ。「(私にとっては朝飯前に簡単なことですが)考えてください」とお願いすべきことなのである(笑)。

とはいっても、「かしこ」にとってあまりにレベルが低すぎて、どうしても「アホ」と言いたくなることもあるかもしれない。その時は、その人の行為が複数の人のチェックを通った後での行為かどうかを検討するしかないと思う。その「アホ」と思える行為も、何人かの目を通って出てきているということであれば、それはもう、ある程度「普通」のこととみなして「アホ」ではないと判断すべきだ。本物のアホは、普通に比べてさらに頭の働きが鈍いはずなので、「何度言ってもわからない」場合においてのみ「アホ」認定してよいと思う。

つまりまず最初は、目の前のアホはひょっとしたら「普通」かもしれないので「アホ」と決めつけるのは避け、一度「考えて」見ることをお願いしたうえで、それでも反応、適応、対処できないようであれば「アホ」と判断するという、「リトマス試験紙」的確認を行った方がいいというわけである。

ただしかし、現実社会においてはリトマス試験紙のような「目に見える試薬」は存在しないので、「改善する能力がない」ことをもって「アホ」認定しても、その「アホ」が多数いれば、前述の多数決原理により、逆に「かしこ」の方が「侮辱」認定されてしまうかもしれない。

このことは「かしこ」にとってはどこまでも「不条理」なのであるが、世の中が「多数決」で動いている以上、しかたないことなのである。そしてこのことは「かしこ」だけが身に染みて知っている「事実」となってしまうのである。

従って、結論的には「かしこ」は「アホ」という言葉を使わない方がよい。なぜなら、「かしこ」は「かしこ」以外全部アホなので、アホの方が圧倒的に多く、多勢に無勢、世の中から抹殺されてしまうことは明白だからである。

もしも周りが「アホ」ばかりだとしか思えなくなったら、もう自分は「かしこ」組合の組合員だと信じて、他の組合員の足を引っ張らないよう、他人をアホ呼ばわりする癖は「封印」しよう。そうすることによって、少しでもこの世からアホにバカを上塗りしたようなアホをなくし、「かしこ」が少しでも生き延びれるような社会づくりに貢献できるかもしれない。

私は最近、まじめにそう思うのである。私は「かしこ」ではないが、アホやバカは嫌いなので(笑)。(バカに関する記事はこちら。)

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